今日の試合残念な結果に終ってしまいましたね~涙
サポーターの方々、チームメイトの仲間、お疲れ様でした。。
スポーツは勉強より難しいものなんですよね…僕は勉強の方が…
ではでは、今日の本題に入りたいと思います
僕が昨日読み終わった本は『チソン、愛してるよ。』と言う本です。
僕は正直あんまり本を読むのは好きではないんですよ~
人に奨められてやっとの事で読むって感じなんです。ただ今回のこの本だけは、違いました~人生で初めて、自ら読みたいと思った本だったのです。人生初めてですよ~
この『チソン、愛してるよ。』と言う本は、決して楽しいといった内容の本ではないです!けど、今苦しんでいる人には是非読んでもらいたい一冊です。
前向きになれる本だと僕は思います。
この本を読むきっかけになったのが、TVでチソンさんのドキュメントがやっていたわけです。それでこんなにもなった人が、どのように這上がったのかを、知りたくて知りたくて!これが読むきっかけですね~
この本を読んで、僕は馬鹿なので最初から最後までの内容を覚えてるわけでないです。
ただ終りの方に書いてあった、この文に凄く伝わる心、感じる心、強い気持が感じられました!
その言葉を書きたいと思います。
本当はみなさんにこの本を読んでもらいたいのですが、読めない方もいると思うのでその文を書きたいと思います
『障害というのは、本人の罪のせいでも、両親の過ちのせいでもありません。誰にでも、いつでも起こりうるのが障害なのです。障害というのははじめから定められていたことだと考える人もいます。本当に運のない者にだけ起こることだと錯覚している人も沢山います。そうして自分とは関係のない、遠い世界の出来事だと考えるのです。しかし…わたしにとってもそうであったとおり、障害というものは、事故というものは、誰もが思ってもいなかったときに、心の準備もまったくできていないときに、予告もなくやってくるものなのです。運などはまったく関係がありません。』
『人々が障害についてもうひとつの錯覚は【障害は不幸だ】ということです。障害は不便なだけで、不幸ではないのです。幸福と不幸の境界は障害があるかないかのあいだにあるわけではありません。この社会では障害の基準を目に見えるところ、身体が普通と違うかどうかにおかれているだけであって、目に見えないところが健康であるかどうかを基準にすれば、誰が障害者で誰がそうでないかは誰にもわからないのです。』
この文が妙に頭に残ったんですよ~読み終えてからも何度か読み返しました!それだけインパクトありました。
これから読む機会がある人は最後の方でこの書いた1文がでてくるので、読んでください。最後だけでなく、何度もいいことが書いてあるので読んでみてください。
北野 貴之の報告レポートでした!
《《毎日、その都度、神様に、普通に一日終れることを、何もなかったことを感謝しなきゃですね~》》
サポーターの方々、チームメイトの仲間、お疲れ様でした。。
スポーツは勉強より難しいものなんですよね…僕は勉強の方が…
ではでは、今日の本題に入りたいと思います
僕が昨日読み終わった本は『チソン、愛してるよ。』と言う本です。
僕は正直あんまり本を読むのは好きではないんですよ~
人に奨められてやっとの事で読むって感じなんです。ただ今回のこの本だけは、違いました~人生で初めて、自ら読みたいと思った本だったのです。人生初めてですよ~
この『チソン、愛してるよ。』と言う本は、決して楽しいといった内容の本ではないです!けど、今苦しんでいる人には是非読んでもらいたい一冊です。
前向きになれる本だと僕は思います。
この本を読むきっかけになったのが、TVでチソンさんのドキュメントがやっていたわけです。それでこんなにもなった人が、どのように這上がったのかを、知りたくて知りたくて!これが読むきっかけですね~
この本を読んで、僕は馬鹿なので最初から最後までの内容を覚えてるわけでないです。
ただ終りの方に書いてあった、この文に凄く伝わる心、感じる心、強い気持が感じられました!
その言葉を書きたいと思います。
本当はみなさんにこの本を読んでもらいたいのですが、読めない方もいると思うのでその文を書きたいと思います
『障害というのは、本人の罪のせいでも、両親の過ちのせいでもありません。誰にでも、いつでも起こりうるのが障害なのです。障害というのははじめから定められていたことだと考える人もいます。本当に運のない者にだけ起こることだと錯覚している人も沢山います。そうして自分とは関係のない、遠い世界の出来事だと考えるのです。しかし…わたしにとってもそうであったとおり、障害というものは、事故というものは、誰もが思ってもいなかったときに、心の準備もまったくできていないときに、予告もなくやってくるものなのです。運などはまったく関係がありません。』
『人々が障害についてもうひとつの錯覚は【障害は不幸だ】ということです。障害は不便なだけで、不幸ではないのです。幸福と不幸の境界は障害があるかないかのあいだにあるわけではありません。この社会では障害の基準を目に見えるところ、身体が普通と違うかどうかにおかれているだけであって、目に見えないところが健康であるかどうかを基準にすれば、誰が障害者で誰がそうでないかは誰にもわからないのです。』
この文が妙に頭に残ったんですよ~読み終えてからも何度か読み返しました!それだけインパクトありました。
これから読む機会がある人は最後の方でこの書いた1文がでてくるので、読んでください。最後だけでなく、何度もいいことが書いてあるので読んでみてください。
北野 貴之の報告レポートでした!
《《毎日、その都度、神様に、普通に一日終れることを、何もなかったことを感謝しなきゃですね~》》