富士山と姪姫をこよなく愛するアロハ推進委員会メンバー、大宮の今井です。富士山麓1週の旅へさすらってきました。南麓に位置する「竹採公園」です。わが国最古の物語「竹取物語」を現在に伝えている場所です。
「今は昔、竹取の翁といふものありけり。」
竹の中から生まれたかぐや姫の一生を描いています。見事な竹林に囲まれ、奥に「竹取塚」が飾られています。
トンネルを抜けたその先はまさに「雪国」でした。100m先の視界もままならぬ銀世界にやってきてしまいました。誰かが作った雪だるまの向こうに見えるのが、山梨県富士吉田市に位置する「富士山レーダードーム館」です。1964年富士山頂に完成し、翌年の3月より気象観測を開始。以後35年間日本に近づく台風を監視し、「台風の砦」としての任務を全うしてきました。現在、富士山頂から移設して展示館となっています。
昭和30年代、台風情報を察知しても山岳の多い日本は、それが障害となって台風接近情報を全国各地に伝えるのが遅れてしまうため、大きな被害を受けていました。なかでも未曾有の大災害をもたらした「伊勢湾台風」を受け、「24時間以上前に日本に近づく台風を察知し、その情報を北海道から九州まで正確に届けるためには、高度4000m付近に強力なレーダードームを作る必要がある」という結論に達し、日本でその条件が満たせるのは、他ならぬ富士山頂だけでした。そこで富士山頂にレーダードームの建設が始まりました。
しかし、富士山頂は過酷な現場で、延べ9000人の作業員たちは、低酸素のなかで「高山病」と戦い、風速10メートル以上吹き荒れる山頂でヘリコプターを使って資材を運搬。わずか10cmの操縦ミスで墜落してしまう危険と隣り合わせのなか、世界一高い場所に、世界一強力なレーダードームを完成させました。その人間模様は、NHKのプロジェクトX で取り上げられ、また石原プロモーションが映画化。使命に燃えた主演の技術者役を、あの石原裕次郎氏が熱演しました。先人たちの命を賭けた偉大なる功績には、感謝の念が絶えません。
富士五湖の河口湖と、山梨県の郷土料理:ほうとうです。味噌汁を煮込んで、分厚いうどんにかぼちゃ、にんじん、豚肉、じゃがいもなど具だくさん。身も心も温まり、とっても美味しかった。戦国最強といわれた甲斐の武田信玄が野戦食として食べていたと伝えられています。
御坂峠に位置する「天下茶屋」です。近代文学の巨匠:太宰 治の名作「富嶽百景」の舞台となったお店です。
「富士には、月見草がよく似合う。」
あの印象的な名文句はここで生まれました。また太宰は「富嶽百景」のなかで…
「ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つに数えられているそうだが…まるで風呂屋のペンキ画だ。どうにも註文どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。」
当初ここの景色を嘆いていましたが、お店の女将や地元の人々との触れ合い、師の井伏鱒二氏らに感銘を受けていく、その心境の変化をつづっています。お店には、「太宰 治記念館」も併設しており、その遺品が飾られています。ただ、あいにくこの日はお休みでした…。
大雨、雪道と視界をさえぎる濃霧、さらには津波による交通マヒも重なり、大渋滞に巻き込まれるなど、前途多難・数多の試練と戦かった旅でしたが、四季折々の富士山の撮影に挑戦していこうと思います。日帰りでは足りなすぎますね。
(御坂峠の天下茶屋から臨む富士山 太宰が「風呂屋のペンキ画だ」と酷評)
富士山、さようなら、お世話になりました。パシャリ☆