少しまとまった時間が取れた時に、ブラームスの交響曲を1番から順番に4番まで聴くのは至福です。一番好きなのは4番ですが、それ以外のどの曲も弦楽器の大らかな響きに浸れます。1番と4番が短調で、間の2番と3番は長調。中でも2番はすべての楽章が長調で始まり、ブラームスの中で最も明るい曲といってもよいと思います。重厚な表現は少なく、前へ前へ進む力にあふれ、クライマックスでは畳みかける情熱がもの凄く、ときには”ノリのよさ”すら感じるのです。
・ムラヴィンスキー~レニングラード・フィル(ALTUS ALT288)
旧ソ連の大指揮者・ムラヴィンスキーが、手兵レニングラード・フィルとともに、1978年ウィーン楽友協会大ホールで行った演奏会のライヴです。
ムラヴィンスキーは、一度でいいから実演に接してみたかった指揮者でした。フルトヴェングラー(1954年没)やワルター(1962年没)なら諦めもつきますが、彼が亡くなったのは1988年、自分の人生と期間が重なっています。そして、こんな仮定は全く無意味ですが、最後に来日したのは1979年。もう少し後にずれていたならば、その場に居合わせることができたかもしれないのです。
ムラヴィンスキー指揮のCDを聴いた時は心から感動しました。間違いなく、生まれて初めて、超一流の芸術に触れた瞬間だったと思います。曲はチャイコフスキーの「悲愴」でした。一切無駄のない厳しいリズムと激しいクライマックスに衝撃を受けました。一度聴くと、真夜中にもかかわらずもう一度聴きたくなり、その日は眠れないくらい感動しました。
ムラヴィンスキーの通訳を務めた河島みどりさんは、1973年・初めての東京公演の様子をこのように記しています。どれほど感動的な演奏だったことでしょう。
「~ ベートーヴェンの第四番とショスタコーヴィチの第五番は、鋭いナイフで空気を切り裂くような、極寒の空の凍てつく新月のような凄味があった。
耳を聾する拍手のなか、突如、客席を突っきって一人の若者が舞台に駆け上がった。あっという間の出来事だった。握手を求めたその青年に、ムラヴィンスキーは指揮棒を渡した。歓声、絶叫、拍手、会場は沸きに沸いた。
「火のようにらんらんと燃える目を見たら、思わず指揮棒を渡してしまった」
マエストロの感想だった。 ~」
(『ムラヴィンスキーと私』河島みどり著・草思社)
(つづく)