鳥の鳴き声を聞いても、その鳥の名前が分かることはほとんどありません。
ある時、山の中で鳥の鳴き声が何重にも聞こえてきました。ウグイスは分かりましたが、もう一つ、五拍子をキープして鳴いている鳥の名前が分かりません。
この五拍子がとても落ち着きます。奇数は当然2で割っても切れ端が残りますが、耳には安定した数のような気がします。まず、3拍子のワルツがそうです。
ポピュラーな、ヴィヴァルディ「四季」は「春」も「秋」も、出だしは4拍子ですが、メロディーは3小節で一括りになっています。
3の次に大きな奇数の、5拍子の音楽はずっと数が少なくなります。ムソルグスキー「展覧会の絵」の金管楽器の出だしは、
~ ソーファーシ♭ードファレー
ドファレーシ♭ードーソーファー ~
カタカナでしか表せません。聴き慣れたこのメロディーは、5拍子と6拍子を組み合わせて作曲されています。ユニークな音楽は、あまりにも自然に、変拍子であることをまったく意識しないまま進んでしまいます。
ムソルグスキーと同じくロシアの大作曲家、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、第2楽章が完全に5拍子で書かれています。
劇的で緩急織り交ぜた1楽章、劇的でテンポの速い3楽章、劇的ながらテンポは粘る4楽章に挟まれて、5拍子の長調で静かに佇んでいるのが第2楽章です。
この第2楽章は聴いていてとても落ち着きます。
もちろん他の楽章も傑作です。クラシックを聴き始めて、初めて感動した大曲が「悲愴」でした。両端の1楽章と4楽章は、タイトル通りとても悲しい音楽ですが、ただの悲劇ではありません。そこに作曲家の自信が一体となって、この傑作が生まれたのに違いありません。
【チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」】
◆フリッチャイ~ベルリン放送交響楽団(グラモフォン POCG1957)
「悲愴」は、大作曲家チャイコフスキーの最後の交響曲です。多くの名演から、どれか1枚だけを選ぶとするならこれです。チャイコフスキーの理想に一番近いのは、フリッチャイの指揮した演奏だと思います。
1959年の録音ということが信じられないほど、音は鮮やかです。
第一楽章は冒頭からすべての音が意味深く、(1:54)のチェロは、録音の現場に自分もいるような気がしてきます。
(2:46)のようなテンポの自然な加速が、音楽のあちこちに散りばめられているのは、これこそ名人の芸術という感じがします。
(8:06)~ 過去を振り返って思いどどまる気持ちが伝わってくるようです。この味の濃さがなければ、チャイコフスキーの特徴は生かされないと思います。
(9:04)~ 確信に満ちたリタルダント(テンポを落とす)が素晴らしいです。
(11:33)~ 金管楽器がすべて痛切な音を奏で、ホールの残響までもが痛切です。それが録音にしっかり入っているのも幸せです。
その後、ぐっとテンポを落とすところも感動の極みで、念を押すリズムの一拍一拍が心の底に響いてきます。
(14:52)~ ティンパニーの強打が、最強打までは行っていないのに、作曲家の気持ちが再現されたと思うくらい、最も深い嘆きにまで達しています。
第二楽章は特に好きな演奏で、夜にチャイコフスキーの音楽を何か聴きたいと思った時に、このCDを選びます。
濃密な表情と澄んだ音色の両方が同時に聴こえてきます。ここでも、(0:38)のような自然なリタルダントが出てくるのがしびれます。
第三楽章は、速すぎないテンポが第二楽章までの音楽をしっかり受け止めています。
(3:04)~ ヴァイオリンが3連符から4分音符に変わるところで、ヴァイオリンだけでなくその場の雰囲気すべてが一変するところに耳を惹かれます。
(5:29)~ 少しも勢いに任せているところがなく、金管奏者の一人一人が確かな刻印を残しています。
オーケストラ全体をたった1人でリードしていくような、ティンパニーの気迫ある叩き方も素晴らしいです。
(7:12)~ 一気に遅くしてから自然に元へと戻り、終結に向かって加速していくところが、何回聴いても飽きません。
第四楽章はチャイコフスキーの総決算です。最も悲しい音楽の、最も悲しい名演がここにあります。(6:47)~のような自然なテンポの流動が、音楽をさらに痛切なものにしています。そして、時にはほとんど激変のような変化ですら、悲嘆にくれた音楽の中で、何の作為も感じさせず自然に行われるのです。
(つづく)