立山(別山(2,880m)・真砂岳(2,861m)・大汝山(3,015m)・雄山(3,003m))
((5)のつづき)
別山が近づくにつれて剱岳を眺める方角が少しずつ変わり、平蔵谷(へいぞうたん)の雪渓が姿を現しました。
「~ 宇治長次郎と並ぶ名ガイドとされた佐伯平蔵を記念し1913(大2)年、近藤茂吉(既出、近代における3番目の登頂者)の発案によって命名された。平蔵がこの谷の初踏破者という意味ではない。 ~」(『剱岳地名大辞典』佐伯邦夫(立山カルデラ砂防博物館研究紀要第13号))
平蔵谷の雪渓(写真:2018年8月)
「平蔵がこの谷の初踏破者という意味ではない。」のことは、山と渓谷社のガイドでも触れられており、
「~ 立山ガイドの双璧として名高い平蔵と長次郎の二人を伴った近藤は、長次郎谷から本峰へ登り、別山尾根を下降した。この時、一行から分かれた長次郎ひとりが平蔵谷をはじめて下ったというのが少し複雑な真相だが、すでに長次郎谷の名があったので、平蔵の名にちなんで命名されたという。 ~」(『ヤマケイアルペンガイド8 剱・立山連峰 北アルプス』星野秀樹(山と渓谷社))
と出てきます。長次郎谷(ちょうじろうたん)は平蔵谷の東側の谷で、間には源次郎尾根がそびえ、二つの谷を登り切った場所の間に剱岳の頂上があります。長次郎谷は、映画にもなった『劔岳 点の記』(新田次郎)の主人公、柴崎芳太郎が1907年に登頂した時のルートでもあります。
2年前の8月、剱岳に登頂した時、平蔵谷を見た時の驚きは忘れられません。角度が急で怖くなるほどでした。その雪渓を登り切ろうとしている人を2人も見つけて、さらに驚いたのを思い出します。
百年以上たち、積雪は当時より少なくなっていると思います。今日はさらに季節の進んだ9月、平蔵谷の上の方には雪がありませんでした。岩が露わになると、平蔵谷はさらに急峻に見えました。
剱岳には三ノ窓氷河・小窓氷河・池ノ谷氷河と、3つの氷河がありますが、平蔵谷には雪渓があっても氷河ではありません。
昨日立山カルデラ砂防博物館に寄り道した時、池ノ谷氷河が北陸新幹線から見えることを知りました。まだ見たことはありませんが、氷河が新幹線から見えるポイントがあるとは思ってもみませんでした。
(登頂:2020年9月中旬) (つづく)