正義ってこわいものだと思います。
正義の名を語った独裁的暴力活動が世界ではたくさん行われています。
一個人だけでなく、カリスマ的英雄を装い、集団となって陶酔した状態で
正義の名のもと、破壊や殺戮を繰り返す行為が世界にはたくさんあったし
今でもあると思います。
正義のため、〇〇のため、
〇〇にはいろんな言葉が入ります。
形のあるもの、ないもの、人であったり、人でないものであったり。
自らが信じるもの、
信じざるを得ないもの、
中には信じていないけど、そう振舞わざるを得ないもの、
自分の価値観が全てで、
自分の好きなものには過剰な保護、
自分の嫌いなものには過剰な排他を行うこと
それは正義とはいえないのではないでしょうか。
大人が子どもを叱るのとは違います。
自由とわがままは違います。
自分勝手でわがままで他を受容できない器の小さな独裁です。
多様性を認められず、他者の考えを受け入れられず、我慢ができず、
うまくいかないのは全て周囲のせい、自分に不愉快を与えるものを全てを敵だとみなしてしまう。
悪だと決め付けてしまう。
脳の病気の可能性もありますが、そうでないこともあります。
また、そうではなく、強いリーダーシップで人を導き、多くの人々が幸せだと思っている場合もあります。
自分が信じるもののために生きることはとても大切なことです。
愛するものを守ることはとても大切なことです。
何が正義かなんてなかなかわからないけれど、
自分が信じる正義を実行するのに、
下心があってはなりません。
仕返しだとか、嫉妬だとか、
他人と比較して優位に立ちたいだとか、
尊敬や羨望がほしいとか、
そういったものが底にある行動であるのなら
”正義”ではありません。
自分を過剰に擁護し、
他者を排除し破壊を繰り返すのであれば、
それを続けることでどのような未来が待ち受けているか、
どのような怒りや悲しみのエネルギーを生み出しているか、
誰かの言葉を鵜呑みにして、
それらを見極める想像力がないのであれば、
無知から生まれたものであっても、必ず、行ったことに見合った結果がもたらされます。
原因と結果は揺るがない世界の法則です。
理想は大切ですが、現実は現実です。
理想を実現するために、排他という行為を行うのであれば、
自分が排除されることも覚悟する必要があります。
行ったことが自分に返ってくるということを常に念頭に置いておく必要があります。