手が届くかニャ
人も生き物も、世界に生きるありとあらゆる者は、互いに影響しあって生きています。
もちろん、無視してもよいようなものがほとんどとはいえ、
人は社会性を持ち、助け合いながら、密接に影響しあうことがあります。
3人いれば、派閥ができ、
できるものなら、そういった煩わしさとは無縁でいたいと願っても
その影響がどうしても看過できないものになることもあるでしょう。
正しさは、とても難しい定義ですが、
目を閉じて、耳を塞いで、引きこもって逃げてばかりでは、
世界を知ることはできません。
おなかが減って食事の時間になったら
ごく当然のこととして、お米を炊いた物や
肉や魚を焼いて物や、野菜などを口に運び、
噛んで小さく柔らかな状態にしたものを飲み込む。
胃では消化が始まり、栄養素が血液を通って全身に流れ、
今、自分がほぼ思うように動かすことのできるエネルギーとなったり、
身体を形作る材料となる。
物質社会の人の当たり前の不思議
雪が降っている 冬だから当然
雪が降った 珍しく冷え込んだ
雨が降った 梅雨だから当然
雨が降った 乾季の終わりの待ちに待った雨
晴れて綺麗な青空が広がっている
それは当たり前?
場所によって季節によって人によって
当たり前は変わる
初めてのことをやり始めて、
いろんなことがわかってきて、
いろんなことが出来るようになると、面白い。
つい、調子に乗っちゃいそうになるけれど、
自分ができるようになったそのことは、
他のみんなはとっくの昔にできていること。
でも、楽しめるのは素晴らしい。
怒りが人を突き動かすパワーとなることがあるのは事実です。
人を変えてしまうようなパワーを持っています。
人を変えてしまうなんてこと、そうそうできません。
怒りが怒りのまま続くとき、
周りが見えなくなり、向かっている方向性を見誤ることが多々あります。
怒りは負のエネルギーです。
天地をひっくり返し
混乱を招き
激動の時代を呼び起こします。
それは本当に望むものか
求めるものか
やりたかったことか
後悔はないか
冷静に、なることが必要です。