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お寺なども含めて、道徳を学ぶ中で人間性を養っていくというのは、
失われつつある大切な日本の風習だと思います。
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国によって宗教観は違いますが、
「バチがあたるからしない」というのは、
これからたくさんのことを学んでゆく子供達には有功であって、
大人になっても、「怒られるからしない」では、
「(悪いことを)する」より良いでしょうが、
「見つからなければ何をしても良い」ということで、
それで良いと思うのは間違いです。
「褒められるからする」というのも、
実は、私も好きですけれども(笑)見返りを求める行為で、
成長するにつれ、
宗教的に言うと「無償の愛」へと進んでいかないといけないのかなと思います。
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禅のお話で、
毎日、読経より、朝から晩までお寺のお掃除を心を込めてしている僧侶と、
毎日、朝から晩まで読経して、
周辺の僧侶らが音をたてると修行の邪魔になるといって、
いつもイライラして怒る僧侶がいたそうです。
自分はとてもよく修行し、徳を積んでいるに違いない、
と、
修行をしていないお掃除僧侶を馬鹿にしていたそうです。
住職さんは、そんな2人をよく見ていて、
どちらの生き方が仏の道を歩んでいるかというと、
それは見返りを求めず、掃除に没頭するお掃除僧侶の方だと言ったそうです。
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私はこの話が好きです。
ついつい損得で動きがちだし、
日常生活の中だと、だいたい損得で物事を判断することが多いのですが、
「徳を積む」というのは、見返りを求めて何かをする
そういうことではないんですね。
こんなこと常に考える必要はないと思いますが、
日々の生活の中で自然と身に付けていくものなんでしょう。
今回のねぇさんの説法?の話に掃除が出てきましたので
その掃除繋がりでいつも仕事をしながら思い出す話がありまうす。
これはお釈迦様とお弟子さんの話。
とても頭が悪くてお釈迦様の話を聞いても数時間で
忘れてしまうお弟子さんがいたそうです。
そんな彼にお釈迦様は
「一生懸命掃除をしなさい、そして”塵を払いて垢を除かん”と
唱えなさい」と仰ったそうです。
それから彼は毎日まいにち、掃除をしていたそうです。
周りのお弟子さんは「あいつはバカだから修行をさせて
貰えない、掃除しか出来ない」と罵ったりしたそうです。
そんな彼の掃除も1年、3年、10年と続くうちに誰も
彼の事をバカにすることは無くなったそうです。
そして彼は掃除をすることで、自分の心の垢も除いて
いることに気がついたそうです。
これは”周利槃特尊者”の話です(かなりかいつまんでいます)
掃除を生業にしている私は、いつかそんな気持ちになれると
いいなぁと思いながらキュッキュッと磨いているのです。
禅のお話、覚えておきます。
でわぁ~♪
人生そのものが修行であって,
もちろん厳しい枷を自らに課して修行に励む僧は素晴らしく尊敬に値しますが,
日々を淡々と生きている人もやはり悟りの道を歩んでいると思います。
http://www.wtn-j.com/html/column/mizuki/mizuki.html