ガッシュナッツ☆ブログ☆彡

ささいな日常や旅行、史跡、今少しハマっていること+プチ保守

廃墟感漂うラピュタみたいな島☆友ヶ島☆第4砲台編

2017-11-22 20:58:38 | ラピュタみたいな場所

今までブログにUPしていなかった、和歌山の友ヶ島の第四砲台を紹介します!(^^♪

第4砲台は現在、立ち入り禁止になっています。

コウモリのいる洞窟もありましたよ。

鍵穴こと指揮官が指揮していた指揮所なんかもありました

 

 

友ヶ島全体の説明は、ラピュタみたいな島☆友ヶ島(其の1・其の2)で説明しているので省略させて頂きます。探訪した画像を貼っていきます。ルートは、第3砲台から第4砲台の方へと探訪していきます。少し長編になっているのであしからず。

 

まずは、フェリー乗り場から第3砲台へ向かってGO!上り坂を上がって行くと案内表示があります。

第3砲台は、右の方向です。

上り坂は、普段怠けている足腰には結構大変です。

石積の排水の会所みたいな物がありました。実際はなんだかわかりません。

上り道の駆け上がり部分には、大きな岩盤みたいな岩が続いています。

石柱が2本道端に放置されていました。(何かの土台かな?)

将校宿舎跡が見えてきました

3つの銃眼窓が見えます。

内部はかなり荒れているため立ち入り禁止になっています。

すぐ横に、発電所跡もあります。

第3砲台へと結ぶトンネルです。

第3砲台が見えてきました。

一番乗りで来たので、まだここには誰もいません。友ヶ島の紹介で必ず紹介される場所です。

第3砲台の入口トンネルをくぐってすぐ左側の弾薬庫の中から撮影です。

第3砲台側から発電所の方を見た所です。

 

弾薬庫の外側にある見回り用の通路です。

弾薬庫内です。

弾薬庫内は、奥側で行き来できるようにつながっています。

弾薬庫を出て、左側を見た所です。

弾薬庫前を歩いて行くと左側に下に降りる階段を発見。

降りて行って下から上を見た所です。

降りて行くとトンネルがあります。

フラッシュをたいているから明るく見えますが、中は真っ暗です。

トンネル突き当りを右側に行くと砲台跡が見えてきました。

丸い砲台跡が見えてきます。

トンネルを出て、砲台跡を見ていると上に上がる階段があります。

上がって上から見ると、最高の眺めが見れます。

ラピュタぽいです!

 上から見るとまた見え方が違いますね。

別な階段から上に上ります。

階段を上って上の木の間をぬって行くと丸い構造物がありました。

かなり荒れています。

鍵穴ですね。

丸い筒は何でしょうか?

木の根っこが史跡に食い込んでいます。

史跡に根を張っている木々。最初は小さな種から成長して、70年以上の歳月を経てこんな風になったのでしょうか?

別な鍵穴を発見。ここは鍵穴の様な指揮所です。

円形の中から木がたくさん生えています。

下のトンネルではなく、上の小山伝いに行くとまた別な鍵穴がありました。

端の方まで来たので、また下に降りてトンネルのある砲台跡の所です。

レンガとシダの紅葉が綺麗です。

 

上から眺めた所。

垂れ下がるシダ

丸い砲台跡には、水が溜まっています。

朽ちた木には苔がびっしりと生えています。

砲台跡も満喫できたし、またトンネル通路へ戻ります。

表の通りへ戻ってきました。

錆びた金具。なんなのかわかりません。

部屋奥の曲がり角付近です。

弾薬庫内から

将校宿舎の方へ戻ります。

将校宿舎の裏側です。

表側には門に向かって銃眼窓があります。

今度は発電所に近づいて行きます。

ここも立ち入り禁止になっています。

発電所の中は、柱とか梁が朽ち果てていました。危ないので中は立ち入り禁止です!

外壁に、金属製の樋が少しだけ残っています。

発電所の横に何かの土台みたいな物がありました。

井戸か排水施設みたいなものがあったのでしょうか?丸い蓋みたいなものがあります。

周りには、レンガの破片があります。

何十年放置されていたのか、苔がびっしりです。

将校宿舎を出て第4砲台の方へ向かいます。

途中に素掘りのトンネルがありました。中は4mほどで終わっています。

しばらく行くとキャンプ場に出ました。

平日ともあって、誰もキャンプをしている人はいませんでした。

画像は無いですが、友ヶ島に生息している鹿と出会いました。姿を見るとすぐに林の方へ逃げていきました。ネットで見たのですが、ここの鹿の中には、台湾の鹿のDNAを持った鹿がいるそうです。昔、台湾は日本でしたから誰かが連れてきたのでしょうか?

キャンプ場を後にして、第4砲台の方へ行きます。

つるが覆い茂った林の中に大きな石積みの土塁があります。

マリフェセントでも出てきそうな雰囲気ですね!

先を進むと門らしきものが現れました。第4砲台入口です。

門の中の左側に、朽ち果てた建物があります。これもレンガ作りです。

建物の右側に下の方の史跡に降りていける坂道があります。

その前に、手前にあった別な階段の方へ行きたいと思います。

下に降りるとトンネルがあります。

中は真っ暗です。

照明が無いと真っ暗で怖いです!

奥に抜けると、砲台跡がありました。

訪れる人がいないのか、廃墟感は第3砲台よりあります。

やっぱりここは、ラピュタみたいですね!

上に上がる階段があったので上って行きます。

廃墟感抜群です。

落ち葉と木々が多い茂っています。

階段上の林を横に進んでいくと、鍵穴こと指揮所が現れました。

指揮官がここで指揮をしていたのでしょうか?

鍵穴の中に下に降りる穴があります。当時は階段があったのでしょう。

下は地下トンネルの方へつながっています。

この丸いのは何でしょうか?わかりません!

砲台上の林沿いを枝をかき分けていくとまた、変わった構造の史跡が現れました。鍵型ではなく星型みたいな形です。

階段があるので降りて行きます。

外側に通路みたいなものがあります。

内側は円形状になっています

外側の通路を進んでいくと、真ん中の円形内部に入れる入口を発見!入って行きます。

中には、上部が明り取りか出入り口と丸い換気口みたいなの物があります。

左右の壁には、物を置ける棚みたいなものがあります。

もう少し進みます。

もう少し進むと、下に降りる螺旋階段がありました。

怖いですが、勇気を出して下に降りて行きたいと思います。

真ん中の円柱に沿って、階段が下の方へ続いています。

途中の壁に四角い穴を発見。

もう少し下に降りて行くと天井にコウモリが止まっていました。

一番下まで降りてきました。

ここにもコウモリがいました。生で天井にとまっているコウモリを見たのは初めての経験です。

コウモリを見つつ先に進むと、地下通路の出口が現れました。

秘境というか手付かずの状態です。

本当の廃墟です。

この第4砲台は、大正時代に使用するのをやめられた砲台です。使われなくなってからの年月が一番長い史跡の一つです。

こんな素敵な所は、後世に残していきたいですね。

本当にいい所です。

レンガに何かついています。

 輪っかがついているレンガを見るのは初めてです 。

上に上がる階段を上がります。

50年後くらいには、この木の芽も大きくなってレンガの階段に根を張るのでしょうか?

上に上がると、黄色い花が群生しています。

先を進むと、また新たな鍵穴がありました。見た中で一番状態がいいです。

通り過ぎて斜面から下を見下ろすと弾薬庫らしい史跡が見えます。

元に戻って見に行くことにします。まず最初にあった門の奥の建物を見ていきます。

周りには、半分以上ない屋根の瓦が散乱しています。

中は、朽ちてボロボロです。

危険なので中へは入れません。

 

 廃屋横の史跡につながる坂道を下って行きます。

 

これはたぶん弾薬庫跡でしょう。

 

部屋が全部で3つあります。

第3砲台とはまた違った雰囲気がいいです。

フェリーの時間も迫ってきているので、この辺で戻ることにします。

門の奥にあった廃墟を少し見ながら第4砲台とお別れです。

中には藤みたいな紫色の花が咲いていました。

屋根はほとんどありませんでした。

第4砲台とお別れです。

フェリー乗り場に向かってまた、てくてくと山道を行きます。

途中、木々の切れ目から桟橋が見えました。

がけ下を見下ろすと、透き通った海が見えます。

今日は、いろいろな特別な物が見れてとても思い出に残るいい一日でした。

今回は、いい場所にたくさん出会えて画像も沢山UPして、少し長編になった中、最後まで見て頂き有り難うございました。また、いい場所に出会いましたらUPしていきますので、たまにお立ち寄りくださったら、うれしいです。

それでは、この辺で失礼します。Have a nice day!

 


ラピュタみたいな場所☆大阪・交野市編

2017-11-08 11:26:48 | ラピュタみたいな場所

異次元へ繋がる入口?

ここには最近、本当に人があまり訪れていないみたいです!たどり着くのに草や木をかき分けてたどり着けました(^^♪

岩肌に苔やシダが生えています

倒木にも苔がびっしりと生えています。

 

もののけ姫のシシ神様が現れそうです

 

洞窟の入口にもシダが生えています。

 

 

ところで、ここは何処かというと、戦前に旧帝国日本軍が作った弾薬保管庫予定地跡なんです!なぜ予定地跡かというと、完成前に終戦を迎えてしまったからなのです!弾薬庫としては未使用なのだそうです。

 入口は国道沿いの山すその、藪状態の道なのか藪なのかわかりずらい所から、上に20mほど行ったところにあります!車は道沿いの少し広くなった車が2~3台止めれるくらいスペースに止めました。

 

 それで道路から上に15mぐらい上がったところに洞窟がありました。

この史跡の正式名称は、大阪陸軍造兵廠・枚方製造所 第五製造所地下疎開工場といいます。

 

 

ここが出来るきっかけになったのは、昭和19(1944)年7月ごろ戦況は悪化していて、マリアナ諸島を失陥、米軍による本土空襲の本格化が予測されるなか、政府は地下施設建設、及び航空機産業を中心とした重要軍需工場の疎開を推進する施策を相次いで閣議決定し、各軍需工場では設備の分散疎開、地下工場建設が開始されます。

終戦前の昭和20(1945)年中旬、大阪陸軍造兵廠 枚方製造所は管下にあった第五製造所(爆弾の信管製造)を疎開するため、大阪府北河内郡交野町大字馬場堂(現、交野市私市)に地下工場建設を決定し、労務者約300名を募集し隧道の掘削が始りました。

地下工場は壕口5ヶ所、総延長545m、総面積2,610㎡を計画していましたが、総延長138m、総面積652㎡を建設したところで、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
壕内は全て支保工のみで進捗率は約20%程度でした。

停戦後、近隣住民により支保工に使用された木材は持ち去られ、現在は崩落が進んでいます。

 

 

 休憩タイム:ゴリエちゃんのHey Mickeyのアメリカ人歌手のSweet California バージョンがあるのでどうぞ!

Sweet California - Hey Mickey (Videoclip Oficial)

 

 

B壕入口です。

入口は、シダや木の枝やつるが覆いかぶさっています。

この感じから最近は来訪者が余り無かったみたいですね

木と落ち葉をかき分けて入ると、奥に続くトンネルがあります。

中は、真っ暗で懐中電灯を照らさないと怖くて入っていけません。

来訪した時は、他に誰も来てなかったので、人気が無く、真っ暗なトンネルの奥に入って行くのは本当に怖かったです。

勇気を出して、中に進むと10mほどで行き止まりになっていました。崩落した跡もなくここで終点みたいです。

一番奥から、入り口の方を見た所です。

すぐには崩れそうではありませんが、将来的には埋もれてなくなるかもしれません。

調べてみると、B壕は、奥行が10mほどしか掘られておらず、一番進捗率の悪い壕なんです。

 

 

B壕から北へ20mほど行くとC壕がありました。

入口付近は、落ち葉でいっぱいです。

近づくと、入り口はわりと大きく高さもあります。

入口の上部分の岩には苔やシダが史跡感を醸し出しています。

足元を見ると、けもののウンチみたいなキノコが生えていました。もう少しで踏んでしまいそうでした(笑)

入口付近から上を見上げた所。

トンネルは、かなり奥の方へ続いています。

12mほど行った所で、振り返り入口付近を撮りました。撮影中、後ろの方が気になります。なんせ奥の方が真っ暗なのでちょっと怖いです。

半分ぐらい進んで、これ以上奥まで行くのを断念しました。実は今朝、夢の中で地震の夢を見たので、洞窟の中にいる時に崩落して中に閉じ込められたらと、無いとは思うのですけど勝手に想像したら怖くなりました。(笑)

入口付近まで来ると安心です。

入口から15mほど入って行きましたが、まだまだ奥の方まで続いているみたいでした。


調べると奥行きは45mあり、壕口から15mの位置の右側に奥行き5m程の横坑、さらに5mの位置の左側に同じく5m程の横坑と5m間隔で左右に3本ずつ、合計6本の横坑があります(総延長73.5m、面積約147㎡)。この史跡の中に入れる中では、一番奥までの距離が長いです。

 

ここには、A壕からE号まであるみたいですが、今回は訪れることが出来ませんでした。ここに来た感想ですが、国道168号の道沿いから山側に入って行くのですが、入る所がわかりづらく、最近、来訪者もなくて、ブッシュ化しています。分け入って12~3m山を上がって行くのですが、草木を分け入っていく感じで、最悪なのが服やズボンに引っ付き虫が、今までに見たことが無い位ついていました。観光向きな場所では無くて、史跡の探求好きな人向きかもしれません。

場所は、大阪府交野市私市9丁目11付近です。

 

それではこの辺で失礼します。Have a nice day!

 

 

 


ラピュタみたいな島☆友ヶ島(其の2)

2017-10-14 12:36:26 | ラピュタみたいな場所

ラピュタを彷彿させる島☆友ヶ島

 

「前回までのおさらい」加太フェリー乗り場

友ヶ島へ出発GO!

友ヶ島の野奈浦桟橋に到着

探索スタート! 野リスの出迎え(*^-^*)

神社にお参り

途中にあった今は使われていない赤レンガで出来た建物

第2砲台の方へ出発

約900mほど行くと第2砲台に到着

朽ちかけた赤レンガに巻き付くシダが廃墟感を醸しだしています。

建物の中は、崩落の危険があるので、中へは立ち入り禁止になっている。

海に落とされた、砲台の台座。終戦時にアメリカ軍が使えなくする為に砲撃したらしい。

第1砲台へ

ちょうど鉄格子のあった門の裏側になります!

昔に栄えた都市の廃墟みたいです!

 

友ヶ島灯台

台風の時の実況中継で有名な潮岬灯台と同じ設計者で、英のリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計しました。日本で8番目に建てられた灯台です。

これは装甲掩蓋と呼ばれる観測所跡。ここ友ヶ島の他には佐世保の要塞跡にしかない貴重な遺構です。

 中に入れます。

錆びたボルトナット

天井部も円形でおしゃれ!

 第5砲台の方へ

石柱と案内板を発見

 

弾薬庫の正面入口

中から見た所

 

(其の2)

 

旧海軍調音所跡へGO!

洗い場なのか貯水槽なのか、目的が不明な物がありました。大きさは、畳1畳ぐらいです。

旧海軍聴音所跡に到着。進行方向からこんな風に見ながら近づいていきます。

正面から見た所です↑

正面入口の右側の窓です。↓

中に入ってみます。

レンガ壁が剥がれ落ちて、間仕切り壁が無くなっています。

明りを取りいれる為なのか、窓がいくつもあります。

真ん中にある土台は、聴音探査の機器を置いていた土台なのでしょうか?それとも炊事場?コンクリート製でしっかりとしています。

 

聴音所と分かったのはいつ?

ここの建物が、旧海軍の聴音所と分かったのが、つい最近の2002年になってからだそうです。終戦時、軍事施設などの情報は機密とされ、情報が外部へ出されなかったのと、終戦前にここに所属していた部隊が、別なところに配属され、ここのことを知っている者が少なかったのも、つい最近まで知られなかった理由の一つだそうです。

ここの天井材には、木毛セメント材(今はあまり使われていない建材)が張られ、吸音効果があるんだそうです!

 

ちゃんとトイレもありました。

四角い穴を発見!人が寝転んで這っていけるぐらいの大きさです。

四角い穴の外側は、こんな感じになっています。

海側の窓です。↓ 

平屋創りに見えますが、2F展望楼があります。

 

木が多い茂っていますが、展望楼になっています。

展望楼部分にある、昇り降りするための開口部です。当時は階段があったのでしょう。

 

ぐるーと1周回って、正面部分に出てきたところです。

何かの土台の跡があるので、昔ここにも何かが建っていたのでしょうね!

 

 

旧海軍聴音所を後にして、小展望台の方へGO!

石積みの四角い石柱が4本立っています。

小展望台を後にして第3砲台へ

歩を進めると、時間が止まったままの空間みたいなところへ来ました。

道路脇の下を見ると、何かの入口みたいのを発見しました。

下に降りていく階段があります。

下から上側を見た所です。

なんだかラピュタ感が出てきました(*^-^*)

トンネルの中は、真っ暗です。

本当に、何も見えません!

懐中電灯かスマホライトが無いと、怖くて入っていけません。

トンネルの向こうに、もう一つのトンネルが・・・!

出口を発見!

円形の丸い台座みたいなものが在ります。

ここがラピュタを彷彿されると言われた場所ですね!

ロボット兵が今にも出てきそうです。

この砲座跡は、トンネルで繋がっていて、全部で4ヶ所あります。

次のトンネルに入っていくと・・・!

2つ目の砲座跡

もう一つのトンネルにも入っていくと

ここには人があまり訪れていないのか、木々が多い茂っています。

トンネルはまだ続きます。

雨水なのか、水が溜まっていました。

トンネルを戻ってもう少し先に進みます。

 

大昔に栄えたの都市の跡みたいです!

第3砲台前のメインストリートです。

ここが友ヶ島で一番有名な場所です。

ここで、写真や絵を描いている人がたくさんいました。(#^.^#)

 

 実際どうやって大砲を打ったのか?

山の中に砲台が在るのに、どうやって敵船に対し攻撃したのでしょうか?海沿いならわかるけど。

 

当時使われていたのと同じような大砲↑

当時の砲台の写真(深山重砲兵聯隊 二十八糎榴弾砲々台) → 友ヶ島第3砲台ではありません。
「28cm榴弾砲。曲射弾道で、艦船の甲板を射撃する大砲。着弾すると榴弾がはじけ飛び、広い範囲にダメージを与える。砲弾の落下速度の増加も考慮し、高い山頂や丘陵に設営された。」この様な砲台が友ヶ島にも設置されていました。

砲台からどのように砲弾が出ていたか?
「平射砲と違い、放物線を描いて砲弾が飛んでいくため、前面には胸(きょう)しょうと呼ばれる低い防護壁がある。」→友ヶ島の場合は、山の斜面が防護壁になっています。

 

第3砲台の弾薬庫です。

中に入ってみます。

沢山の部屋に分かれています。

中は、真っ暗で、明かり無しでは、何も見えません。

ここに昔は、沢山の砲弾が貯蔵されていたんですね。

赤レンガの古びた感じがいいです。カメラのシャッターを押してしまいます。

 

ここで第3砲台を後にして先に進みます。

 トンネルを抜けると、赤レンガの建物が2つ見えてきました。

 

左側が将校宿舎、右側が発電所の跡です。

将校宿舎の裏側の窓から見た所です。奥に銃座窓が見えます。

中は、意外に和風な作りです。

崩落がひどく、床や壁などが無くなっています。

 将校たちの憩いの場だったのでしょうか?

 

 

将校宿舎側から見た、第3砲台へ抜けるトンネル

 

次は探照所跡の方へ進みます。

 

道中にある石柱。配線用の物らしい!

探照灯跡に到着

 

当時は、この上に探照灯が据えられていたのでしょう!

 

今回は、朝9:00加太発→友が島行きのフェリーに乗ってきました。この探照灯跡付近で休憩も含めて、約3時間ぐらいの所要時間で来れました。パンフレットに載っているハイキングモデルコースの名所探訪コース(3.3km)標準所要時間2時間30分を参考にしました。

色んな見どころが沢山あり、けっこう楽しい一日になりました。この場所から、10分ほど山道を下って行くと、朝、到着した野奈浦桟橋前の、広場に降りていけます。そこで持ってきたお弁当で昼食を取り、しばらく帰りのフェリーが来るまで、ぼんやりと景色を見たり、おしゃべりをしたりして、帰りの1:30の加太行フェリーに乗って、帰路につきました。住まいが関西エリアということもあって、日帰りで行け、フェリーにも乗れて離島に行って探訪することが出来るとてもいい場所でした。島内には宿泊施設もあるそうです。今回は、夏の気配がまだ残っている時にきましたが、秋めいた季節も、また違った雰囲気が得られそうで、もう一度来てももいいかなと思います。

このブログが、少しでも参考になれば幸いです。(#^.^#)

それではこの辺で失礼します!  Have a nice day!

 


ラピュタみたいな島☆友ヶ島(其の1)

2017-10-08 21:30:50 | ラピュタみたいな場所

ラピュタを彷彿させる所があるという、噂の和歌山県の友ヶ島に行ってきました☆彡

 今にもロボット兵が出てきそうです

 2~300年の間、誰にも使われなかった都市みたいです。

 

 

ラピュタ以外にも、千と千尋の神隠しの中の、トンネルをくぐる場所みたいなところも・・・!向こう側には何があるのか?

トンネルの中は、真っ暗なので懐中電灯かスマホライトが無いと、怖くて進めません。

 

 

ところで友ヶ島とはどんなところでしょうか? 

和歌山県に位置する友ヶ島は、地ノ島、虎島、神島、沖ノ島の総称名です。
沖ノ島には、要塞時代を偲ばせる砲台跡が点在。
それらをめぐるハイキングコースも開かれています。
純白の姿がコバルトブルーの海に見事に映える洋式灯台、第2砲台跡をはじめ、展望台、第3砲台跡、桟橋をめぐって約1時間30分の道のり。
風光明媚な散策コースとしても人気があります。
島内中央部の深蛇地では、湿地帯植物が群生しており、約400種もの植物を見ることができます。植物に興味のある方は是非いちど、足を運んでみてください。
また、古い歴史をもつこの島は、役の行者に始まる修験道にまつわる史跡や行場も現存します。夏場は家族連れでの磯遊びなどに最適の島です。(かなり昔に海水浴に来たことが有りますが岩場が多いです。)

ここの要塞跡がある理由は、江戸時代までさかのぼります。幕府の紀州藩は幕末から、紀淡海峡を北上して大阪湾に進入する外国船を監視する目的で、友ヶ島に友ヶ島奉行を設置していました。明治になって防衛の重要性は増し、淡路島の由良から友ヶ島を経て、加太に至る地域に本格的な「由良要塞」が設けられました。
友ヶ島には5つの砲台が設置され、第3・4砲台は360゜の視界を持つ山頂付近にあり、長時間の砲撃が可能になっていました。第1・2・5砲台は島の西端に設けられ、海峡にさしかかった船舶を待ち伏せ・真横から砲撃することが目的でした。
平成14年(2002年)になって、友ヶ島にも聴音所があることが確認されました。海峡を通る潜水艦のスクリュー音を監視する施設です。終戦後、大砲や砲台は撤去・破壊されたものの、大きな破壊は免れたために、レンガ造りの弾薬庫跡や砲台跡が良く保存されています。戦争の遺構としては大変貴重なものです。

 

友ヶ島の場所・行き方

友ヶ島へは、海に浮かぶ島なのでフェリーで行くしか方法がありません。和歌山の加太港から友ヶ島汽船(株)のフェリーで行くことができます。

フェリー代は、加太港から友ヶ島まで、大人 往復2000円(片道1000円)、小人 往復1000円(片道500円)で行けます。お車でお越しの場合、駐車料金が1日700円かかります。

運行時間は、下記のとおりです。

(平常時刻表:3月1日~11月30日までの間)

*臨時便については、(GW・夏期4月28日~5月6日 7月20日~8月20日)です。これら以外にも、その他の連休日など混雑が予想される日には、臨時便がある場合があるので、行く前に直接運航会社に聞いた方が、いいと思います。

友ヶ島汽船(株)→http://tomogashimakisen.com/jikoku.html

 *12月1日~2月末の冬季期間は、上記時刻表の臨1と臨2のみになります。それと船舶ということがあって悪天候の場合、運休する場合があるので、事前に調べておいた方がいいです。(私もこの間、台風がまだ九州の辺で、波もそんなに荒くなさそうなので行ってみたら、 欠航と言われて愕然としたことが有りました

 

友ヶ島全体図

 

 *友ヶ島の略図です。

 

友ヶ島行フェリー乗り場です。

 

 

今回は、気持ちがいい青空に恵まれました。曇りの時も、臨場感があってgoodと言う人もいます。

フェリーの定員はおよそ100名です。定員を上回ると次の便にまわせれますので、混雑しそうなGWや連休中は、早めに行くことをお勧めします。

それでは、友ヶ島に向けて出港です。

 

湾内は、ゆっくりめに航行していきます。

 

遠ざかる本土と島々を見ながら、友ヶ島に向かいます。

湾外に出ると結構快適なスピードで航行し、心地よい風を受けながら見る景色は最高でした。

 

この日は、連休だったので釣り船がたくさんいました。

この辺だけ潮と潮がぶつかているのか、海面が波打って、ざわついているように見えました。釣り船もこの辺にたくさん集まっていました。地ノ島と虎島の間です。

20分ほど行くと友ヶ島の、桟橋の野奈蒲桟橋に到着します。

 

桟橋を降りてすぐに、砲弾と石柱がありました。

 

それでは友ヶ島の散策に行きましょう。

歩き出してすぐに野リスが出迎えてくれました(#^.^#)

 

 左側に神社があったので、とりあえずいい写真が取れるようにお参りに!

けっこう急な石積み階段で、運動不足が身に沁みます。お賽銭にお金を入れ、とりあえずお願いを!「いいロケーションの発見といい写真を撮れますように」とお願いしました。

 

第2砲台に到着です。

桟橋から右側に歩いて、海沿いに行くと第2砲台にたどり着きます。桟橋から約900mぐらいです。

第2砲台は、崩落がひどいので、中は立ち入り禁止になっています。

終戦時に、アメリカ軍によって爆破され使えなくされたそうです。

 

赤レンガにシダに覆われた所が遺跡っぽい、いい雰囲気を出しています。

結構崩落が進んで、ひび割れがあちらこちらに見受けられます。

中に入って、もし崩落があったら危ないので立ち入らない方がいいみたいです!

天井にもひび割れがあります。

ぐるーと裏側に回ったところです。

 

アメリカ軍の破壊によって、砲台から転げ落ちた台座が、海に転がり落ちていました。

 

 

第1砲台へ

第1砲台の入口が見えてきました。

 

残念ながら、第1砲台も立ち入り禁止で、中には入れません。鉄の門扉のすき間からカメラを差し入れて撮影しました。赤レンガと苔の生えた感じがとてもいいです。横からロボット兵が出てきてもおかしくないようです。

第1砲台の裏側です。

少し露出オーバー気味です。本当はもう少し赤みを帯びた感じかな・・・?

中は、弾薬庫だったんでしょうか。

 

友ヶ島灯台

日本で、8番目に竣工された灯台らしいです。

白色の灯台が青空に映えます。

台風の時の実況中継で有名な潮岬灯台と同じ設計者で、英のリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計しました。

 

 灯台を通り過ぎて奥の細い道を入っていくと、変わった形の建造物がありました。

階段を上がると、、八角形の屋根をしたトーチカみたいなものが現れました。

これは装甲掩蓋と呼ばれる観測所跡。ここ友ヶ島の他には佐世保の要塞跡にしかない貴重な遺構です。

鉄製の装甲掩蓋です。錆びてはいますが、原型がしっかりとした形で残っているとは驚きです。当時は屋根の表面にモルタルが塗られていました。モルタルの破片がそばに落ちています。

 

中に入ってみます。

入口には、鉄の分厚い扉がついています。さび付いていて、動きそうではありません。

外を見渡せる小窓があり、壁のボルトナットの風合いがとてもレトロチックで、マニアにはたまらないでしょうね(*^^*)

天井部は、円形で洋風を感じさせる作りです。

これを、70年以上も前に造ったとは、日本はさすがです!(^^)v

 

次は第5砲台へと行きます。

 

中から見た所です。

 

友ヶ島の中で一番小さな規模の史跡で、予備の倉庫として使われていたらしいです。

第5砲台は規模も小さく、掩蔽部が残っているだけなので時間がない時は、他を先に回って時間があれば、見に行くのもいいかもしれません。野奈浦桟橋から一番近くにあります。

 

(其の一):加太フェリー乗り場→野奈浦桟橋→野リスの出迎え→神社→第2砲台→第1砲台→友ヶ島灯台→観測所跡→第5砲台まで

(其の2):旧海軍調音所跡→小展望台→第3砲台→探照灯跡(準備ができるまでお待ちください)

いよいよ第2部で、友ヶ島の中で一番有名な、第3砲台跡を掲載します。

 

ここまでご覧になられて有難うございました。それではこの辺で失礼します。

    Have a nice time!