注文した饅頭「竹島ものがたり」が届きました。
一箱860円税込でした。送料は1100円。
饅頭が12個入で付属品として小さな日の丸が入っています(笑)
味はひよこ饅頭みたいな感じでおいしいです。
竹島とは?
[住所]島根県隠岐郡隠岐の島町竹島
[位置]北緯37度14分 東経131度52分
[面積]約0.21㎢(総面積)
島根県隠岐諸島の北西約158kmの日本海に浮かぶ島。西島(男島)と東島(女島)の二つの小島とその周辺の岩礁からなります。大きさは東京ドーム約5個分ぐらいです。島根県出雲市からは約211kmの所にあります。
日本と竹島の歴史
日本人が竹島に初めて足跡を残したのは、17世紀の江戸時代です! この頃、鳥取藩や松江藩の漁師が鬱陵島でアワビなどの漁を始めましたが、その際、隠岐と鬱陵島を結ぶ航路の途中にある竹島は寄港地として絶好の場所でした。当時、江戸幕府は朝鮮王朝と鬱陵島の領有を話しあっていましたが、1837年に幕府は鬱陵島への渡航禁止令を出し以後30年間、日本人の鬱陵島への渡航は途絶えていました。・・・(徳川家斉1787-1837年 徳川家慶1837-1953年)の頃
それで漁師たちは、それまでの寄港地だった竹島で漁をすることになりました。日本の漁師たちはアシカ漁をし、鬱陵島から朝鮮人の海女を雇って一緒にアワビやワカメ漁を行っていました。 この時の海女たちの収入は、日本人漁師の1.5倍もあったので希望者も多かったそうです。・・・(なんか、慰安婦の構図と似ているような?儲かる所に朝鮮人あり。)
*日本漁師と鬱陵島から出稼ぎに来ていた朝鮮人の海女達
この様な状況が長い間続いていましたが、朝鮮半島で1392年ー1910年の間続いていた李氏朝鮮がいよいよ終わりを迎えます。終焉まじかの混乱期に、旧ロシアや清(今の中華人民共和国と全く別)、そして日本が朝鮮半島をめぐって睨みを利かせていました。そして、1894-1895年に日清戦争に日本が勝利し、1904-1905年に起こった日露戦争にも勝利し、5年後の1910年に日韓併合が行われました。
*日清戦争 1894-1895年
*日露戦争を戦った日本帝国の武将たち
清の属国として長く続いた李氏朝鮮は、日清戦争での日本の勝利により、日本から独立国になる様に強く勧めらます。そして清の属国をやめて日本の保護国となり1897年に名称を大韓帝国に改めます。さらに1910年に「韓国併合に関スル条約」の調印により日韓併合の運びとなり大韓帝国は終わりを告げました。
*日本併合前の朝鮮1
*日本併合前の朝鮮2
日本は併合後、日本と朝鮮はお互い仲良く協力し、日本政府と日本の民間企業共に、学校・病院・ダム建設・道路・ホテル・図書館・橋・金融制度・上下水道・ガス・電気・博物館・郵便局・デパート・農業・司法制度・駅舎・より良い港・市庁舎などを朝鮮につくり、近代化を推し進めました。この時、莫大な技術や資産が投入されました。
*日本併合後の朝鮮1
*日本併合後の朝鮮2
35年間にわたる日本の併合で、近代化した朝鮮半島でしたが、1941年から始まった太平洋戦争(大東亜戦争)に1945年8月に、日本が破れ連合軍に無条件降伏を突き付けられこれらの条件をのみ、敗戦国になってしまいました。GHQによる占領政策は、サンフランシスコ講和条約による日本の主権回復までの間、7年間続きました。
*1952年 サンフランシスコ講和条約の様子
敗戦後、日本という屋台骨を無くした朝鮮半島は、日清戦争や日露戦争当時から睨みを利かせていた旧ロシアやつい最近できたばかりの中華人民共和国(日本が戦っていたのは、蒋介石率いる中華民国)と、そして日本に勝利したアメリカが加わり、ロシアと中国(PRC)は、北朝鮮側に、アメリカは韓国側につき朝鮮半島を2分する朝鮮戦争が勃発しました。
*朝鮮戦争で廃墟化した朝鮮(日本が手がけた建物ががれきに・・・!)
話は戻りますが、1945年に日本帝国が無条件降伏しGHQの占領政策で、日本が敗戦するまで所有していた外地(朝鮮半島や満州国・南方地域:パラオなど)の領土や資産や手がけた投資物など、一切没収され、帰国する際の手持ちの私財も没収や略奪されもい帰ることはできませんでした。(詳しくは当ブログ内:そこまでして韓国は日本の財産が欲しかったのか1・2にて)
マッカーサーライン
第二次世界大戦後の日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の文書SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって決められた日本漁船の活動可能領域のことである。すなわち、敗戦国の日本が、好き勝手にあっちこっちで漁が出来ないように線引きされたエリアのことです! このマッカーサーラインは日本の主権が回復するサンフランシスコ講和条約(1952年)には消滅します。
李承晩ライン
日本の敗戦後、韓国は日本が残していった朝鮮半島での資産や投資した建物などを手に入れ、戦勝国でもないのに賠償の権利を連合軍側に申し出て、もちろん権利が無いので却下され、でもこんなことで諦める輩ではなく、GHQによって日本が放棄させられたのは、朝鮮半島・済州島・巨文島及び鬱陵島だったのに、欲をこいだ韓国は「竹島」もうちの領土だとアメリカに抗議しますが、これに対しアメリカは、竹島は韓国に扱われた事実はなく、1905年以降日本の領土であると退けました。
*大韓民国第1-3代大統領 李承晩
どんなことをしても日本から賠償金や領土が欲しい元仲間だった韓国は、「マッカーサー・ライン」がサンフランシスコ講和条約が1952年に発効されることによって無効化されることを見越し、マッカーサー・ライン代わるものとして設定しようと李承晩ラインなるものを勝手に引いてしまいました。同年2月8日、李承晩政府はこの境界線を設定した主目的は、日韓両国間の平和維持にあると発表し、韓国では「平和線(평화선)」と宣言されました。
1952年2月12日 、アメリカは、韓国政府に対し、李承晩ラインを認めることができないと通告したが、韓国政府はこれを無視しました。
韓国はこの境界線に基づき日韓基本条約が結ばれる13年の間で日本の漁船328隻を拿捕し、漁師3929人を拘束、そのうち44人が死傷した。後に韓国政府は日本政府に対し、拘束されている日本人漁師釈放の代わりに日本の刑務で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されている韓国人受刑者の釈放を要求し、日本政府はその要求を受け入れ受刑者472人を釈放し永住許可を与えることになりました。(この言葉通りなら、日本の善良な漁師を勝手に拿捕しといて、自国の犯罪人を釈放して永住権を与えろという、今では信じられないことが起こっていたのですね)
これ以外にも、1965年の日韓基本条約で、払う必要に疑問視がある賠償金を建前上は経済協力という名目で韓国に無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドルを支払っています。合計して8億ドルです。この金額は当時のものなので、貨幣価値を今の時代に換算してみます。8億ドルのうち無償分の3億ドルを例に計算すると
・(円換算)3億ドル×360円(当時1ドル=360円)=1080億円
・(物価換算)1080億円×10(当時の大卒初任給が約2万円)=1兆800億円
日本は韓国に対して無償で1兆800億円をあげて、低金利で5億ドル(現在の価値にして1800億円)を貸してあげ、韓国に残してきた財産や資材を429億円(現在の価値にして429.0×190= 8兆1500億円)8兆1500億円を残してきます! さらに2015年12月の日韓合意によっても10億円が支払われています。
韓国に対して過払い請求したいところです!現在も竹島は韓国に不法占領された状態です。なんとかならないものでしょうか?