令和元年から78年前の昭和16年(1941年)、日本はアメリカ・イギリス・オランダ・フランス・中華民国等と戦いました。終戦間際には、ソビエトが日本との日ソ中立条約を一方的に破り参戦してきました。
日本が戦争に踏み切った理由
日本が参戦に至ったのは、日本経済に必要な石油の輸入経路をアメリカなどにより断たれ、今、現在世界が北朝鮮に行っている経済制裁よりももっときつい制裁や不合理な条約などを叩きつけられたからと言われています。
最近のアメリカでの最新の研究の結果、長い間、機密だった機密文書の公開の結果、当時、ソビエトの共産主想のコミンテルン(世界革命組織)の諜報活動の結果、当時のアメリカ政府内には多数のコミンテルンが入り込み、ルーズベルト大統領の側近の中にも入り込んでいたといわれ、アメリカと日本を戦わせて国民の意識をそちらに向けさせ、ソビエトは結果、いろんな面で漁夫の利を得ようと目論んでいたと言われています。スターリンの策略です。
公開された当時機密文書のヴェノナ(VENONA)文書
なぜ、ソビエトが漁夫の利を得るのかというと、当時、ソビエトはヨーロッパでドイツと戦っていました。そして極東方面で隣接する満州国には、日本帝国の精鋭軍の関東軍が在住し、にらみを利かせていました。ソビエト領土は広いが緯度が高いため、冬場は極寒の地が多く、不凍港の港が喉から手が出る度欲しがっていました。満州国あたりから南側に位置する場所は寒さも和らぎ、このあたりの領土を獲得するのが夢でした。日本の睨みの先をソビエトの方でなく、南洋の方に向けさせたかったのです。同時にドイツと日本と両方と戦う余裕は、当時ソビエトにはありませんでした。
ソ連スパイの存在を明らかにしたヴェノナ文書・・・信憑性はどのくらいあるのでしょうか?当てはまることも多くうなづけるところが多いです!
戦争へと突き進んだ日本は緒戦優勢でしたが途中から流れが変わり連合軍にコテンパンに敗れてしまいました。
日本が建国してからの外国に対して初めての負け戦です。そして敗戦を迎えGHQの占領政策を受けました。
*連合軍司令官 ダグラス・マッカーサーと昭和天皇
連合軍(アメリカ・イギリス・オランダ・フランス・中華民国・旧ソビエト)は、戦勝国なので、どこにも介入されずに当時のままほぼ継続しています!でも、日本の場合は、違います。初めての負け戦で、勝った時のことは考えていても負けた後のことは、考えておらず、馬鹿正直に相手の言われるまま従いました。多くの国民たちも戦争でひどい目に遭い、生活に困窮していてやっとそれらから解放されるという安堵感もあったせいかもしれませんが、占領政策に素直に従いました。占領軍に有利に偏った政策とは知らずに・・・・・!
終戦間際に少し話は戻り、
戦争と言えど軍事施設への攻撃は許されても、民間施設や一般市民への攻撃は違法
1945年の敗戦間際には、日本は各都市にアメリカ軍による大量無差別攻撃を受けました。そして長崎や広島に原子爆弾を落とされ多くの一般市民の婦女子やお年寄りが犠牲になりました。降伏後、GHQによる占領政策が行われましたが、日本側の意見はほとんど受け入れませんでした。尚且つ戦って、日本の底力にビビったアメリカは、二度と歯向かえないようにと、明治から続く大日本帝国憲法を無くして、約1週間ほどで造ったと言われる憲法によって、陸海空などの軍や武器を持てないという手も足も出せない弱体化した日本に造り替え、二度と歯向かえないようにしました。天皇も元首から象徴へと立場を替えさせられました。
この敗戦国の憲法に手を加える行為は、戦勝国であっても当時のバーグ条約に違反していますし、東京裁判も戦勝国の行いを正当化するために、日本悪玉論を随所持ち出して決して公平とは言えない裁判が行われていました。
同じく敗戦国のドイツなどは?
外国との負け戦を知っているドイツは、占領者に自国の憲法など触られたら後々大変なことになることを知っていたので、中央集権の憲法では無くて、州法憲法の改正によって中央集権のナチスの力を無くし、地方の力を大きくすることによってなされたという風に言われていますが、ドイツは敗戦後、西ドイツと東ドイツに分かれました。西ドイツは資本主義、東ドイツは社会主義国で分断され、ドイツ統一の憲法というのは無くて、1948年に西ドイツにより「ドイツ基本法」という物が制定されました。
「ドイツ基本法」とは
1949年に西ドイツで制定され、正式な憲法を東ドイツとの統一後に制定するとされたが、1990年の統一後もこれが事実上の憲法の役割を果たしている。ドイツ連邦共和国基本法。ボン基本法。ちゃんとした憲法は、分断している今では無くて、近い将来、西側と東側が再び統合してからにしようとしていたため、憲法ではなく基本法だったので、容易に何回も中身を変えるこちが出来たのかもしれません。でも、第二次世界大戦でのナチス・ドイツによる侵略戦争の反省から、第1条で「人間の尊厳の不可侵」を、第20条で「ドイツは国民に主権がある民主国家である」ことを掲げている。この二つの条文についての法改正は一切認めていないが、それ以外の基本法については58回改正されている。
*アメリカが持ち帰ったドイツの戦利品
(今でいうプロバガンダ)諜報活動・・・中国・韓国は今でもやりまくっています。
その昔、日本の戦国武将たちも行っていた諜略活動。相手側に嘘やデマなどを流し、結束を弱くしたり自分たちに有利に動くように相手を諜略し惑わしていました。この諜略活動は日本だけのモノでなくて、世界でも頻繁に行われていました。アメリカ・中国・旧ソ連なども活発に行っていましたし外国では、諜略のことをプロバガンダと言います。また、これらを阻止するための組織も作られていました。日本はこれらすべての存在を解体させられました。
日本はスパイ天国
占領時、日本を敵国とみていた時には都合のいい状態でしたが、数十年経ち友好国となって戦略的にも付き合うようになって政治的や軍事的に機密条項を共有しようとした時に日本はお花畑状態で漏洩しようが公開しようがそれらを取り締まる罰則もなくスパイ天国だったらしいです。こんなことじゃ、相手は大事なことは教えてくれません。
ほとんどの国は、自国が他国に攻められたり諜略されたり悪者扱いにされたり、歴史が相手の都合のいい様に捻じ曲げられたり、帰化や永住し、政治・教育現場・マスコミに入り込んで偏向活動されないように気を付けています。でも、日本は今でもスパイや工作員達のやりたい放題です。
マスコミは、女性天皇の話をする時に上記の様な説明がほとんどありません。知らない人が大勢いても不思議でありませんね。