竹に雀

上杉家中心・戦国まったりブログ

上杉家の兜

2009-06-10 12:10:41 | 上杉家

「天地人」第23話の「天地人紀行」でも言っていましたが、上杉家の兜には特徴があります。

頸部を守るように、兜の側面から背面にかけてある「しころ」(漢字では「革毎」と書く)という兜の一部分が二重になっているのです。このようなつくりを「二段しころ」または「二重しころ」といいます。

二重のしころで首を守るという実用的なつくりは、さすが武門の上杉家という感じがします。

兼続の「愛」の前立の兜(正式には「金小札浅葱威二枚胴具足」(きんこざねあさぎおどしにまいどうぐそく)といいます)の他には、景勝公の「卍」の前立の兜(正式には「鉄黒漆塗紺糸威異製最上胴具足」(てつこくしつこんいとおどしいせいもがみどうぐそく)といいます)や謙信公の「飯綱権現」の前立の兜(正式には「色々威腹巻」(いろいろおどしはらまき)といいます)が同じ二段しころとなっています。


「愛」の旗は実在するのか?

2009-06-07 21:43:53 | 天地人

今日の天地人第23話で「愛」の旗が登場しましたね。

今までの「天地人」のパターンから言うと「これも演出のうちなんじゃないの」と思う方も多いと思います。

が、 今回は違います。

「愛」の旗は実在します。ただし、ドラマのような楷書ではなく草書ですが。

以前長野県中野市にあった甲冑専門の博物館「佐藤博物館」に展示されていました。

2008年1月31日で「佐藤博物館」は閉館し、収蔵物は「佐久市近代美術館」へ移されたそうです。

コレクションの一部は「佐久市近代美術館」で公開されているそうですが、「愛」の旗が公開されているかは不明です。

「佐藤博物館」は目立たないところに建っているためか、訪れる客もまばらで「じっくり」鎧をみるのにはうってつけの博物館でした。

収蔵品の中には「上杉景勝公が着初めに使った具足」(その後上杉家代々着初めに使うようになった)や浮世絵などの見どころも多く展示されていたので、3~4時間は楽しめたのに非常に残念です。

もし、機会があったらみて下さいな。


春日山城巡り ~その参~

2009-06-06 23:25:01 | インポート

さて、いよいよ本丸です。

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本丸からは、頸城平野や直江津港を見ることができます。

多分ここからだと御館もよく見えたのではないかでしょうか。

大河ドラマではスゴーク海に突き出ているような描かれ方をしていますが、実際は海からかなり離れた位置にあります。海岸から徒歩だと1時間以上かからないと着かないと思います。

とても景色がよいので、本丸でお弁当を食べることをお勧めします。

本丸でまったりした後は、山をくだっていきます。

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本丸のすぐ下に「護摩堂」があります。ここは「謙信の祈祷所」として使われていたようです。

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「護摩堂」の下にあるのが毘沙門堂です。

大河ドラマでは「洞窟」となっており、まるで「毘沙門窟」のように描かれていますが「春日山に洞窟はありません」。大河ドラマの影響で「毘沙門窟」目当てでくるお客さんも多いんだとか…。

あと、だいぶ前ですが映画の「天と地と」で春日山のそばに滝があるように描かれていましたが…。

歴史もののドラマや映画が視聴者に与える影響ってすごいんですね。製作サイドもそこら辺を考えてセットや脚本をつくって欲しいと思うのですが。

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毘沙門堂の下にあるのが、「お花畑」。お花畑ときくと、「アハハ…ウフフ…」とカップルが追いかけっこをしている姿が目に浮かぶようですが、ここはそんなお花畑ではなく「薬草園」と言ったほうが事実に近いみたいです。(毘沙門堂などに供える花はつくっていたみたいですが)

規模としては、家庭菜園くらいの広さです。

ここから道が分かれていて、下へおりる道へ行くと「三の丸・景虎屋敷」へ向かいます。

今回は、横の道へ進み「直江屋敷」へ抜けるコースをとりました。

(「三の丸」からでも山をおりることは可能です)

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ここが今一番熱いスポットの「直江屋敷」です。写真でもわかるように木々の間から日が燦々と照り、日当たりは良好です。(景勝屋敷と比べると…)

直江屋敷と景勝屋敷は本丸や毘沙門堂などを除くと屋敷どうしでは隣にあたります。

なので、ちょくちょくお互いの屋敷をいったりきたりしていたんだろうなぁ…と想像してしまいます。

直江屋敷には「越後上越天地人博」の幟がたっていました。そのうちの一本が風でからまっていたため、私が写真を撮っている間ヒマだったのか、父がなおしていました。

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直江屋敷からさらにくだると「千貫門跡」へ出ます。このあたりにある一見「道」と思われるところは「空堀」なので、行き過ぎると転落します。注意してください。

千貫門跡を抜けると「お屋敷」へ出ます。位置としては、「春日山神社の裏手」になります。

常時、謙信はここに住んでいたといわれています。

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とうとう「春日山神社」までおりてきました。

春日山神社の絵馬で「恋愛成就」と書かれているカップルが奉納した絵馬をよく見るのですが、この神社の祭神は「謙信公」と「菅原道真公」なので、恋愛成就は無理だと思う。願うなら、「学問」か「勝利」(試合などの)にしたほうが御利益はありそう。

ここまでくると道も土の道ではなく舗装された道路になっているので、歩くのが楽です。

お土産屋さんが何軒かあるので、のぞくのもいいでしょう。

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春日山城に来たらぜひ写真に撮って欲しいもの…それはこの謙信像です。

春日山城の登り口(「三の丸」や「千貫門」を通るコースでの)に立っているので、すぐわかると思います。謙信像は「川中島」の方を向いて立っているとか…。

これで一応「春日山城巡り」は終わります。

~こぼれ話

春日山城を登った後、謙信像の前に置いてある自販機で缶ジュースを買うため、「150円」を入れたら、「130円」おつりが出てきました。しかも、自販機のおつりの金額が出るところもしっかり「130円」と表示された後で…。謙信公の奇跡というやつでしょうか?


春日山城巡り ~その弐~

2009-06-05 19:49:40 | 上杉家

~その壱~では柿崎和泉守屋敷までの道のりを紹介したので、これからはそれ以降の様子を紹介します。

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柿崎屋敷から少し登ったところに「景勝屋敷」  があります。

ここは春日山城の裏手にあたるためか、木が鬱蒼と生い茂っており、昼でも薄暗いです。

しかし、面積は広く、本丸からも近いため、木さえ切れば絶好の立地条件と言えるでしょう。

この屋敷の配置に義父謙信の愛を感じるのは私だけでしょうか…。

大河ドラマでは「御館の乱」の時本丸までの距離がかなりある演出がされていましたが、上杉景虎が住んでいた三の丸と比べると景勝屋敷は格段に本丸に近いです。

あと、5月末の春日山城探訪に同行した父が、景勝屋敷のはしっこから「ここから桑取道が見える」と叫んだので行ってみたところ、景勝屋敷のすぐ真下が桑取道になっていました。

大河ドラマでは兼続が決死の覚悟で出かけた桑取行きですが、道は意外と近くにあったのね…という発見でした。

景勝屋敷から本丸を目指すと、途中に「鐘楼台」の跡があります。見落としがちですが、景勝屋敷と井戸郭の間にある小高い山(?)みたいなものがそうです。登ってみてください。

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本丸のすぐ下にある「井戸郭」です。城を造るにあたって、水の確保ということは非常に重要な意味を持ちます。地元の言い伝えでは、謙信が「首を切って血が出ることと同じように、山の中にも必ず水が湧き出るところがあるはずだ」といって部下に一生懸命探させたという話が残っています。

写真は大井戸の中を写したものなのですが、わかりづらくてすみません。今でも、水がこんこんと湧き出ているそうです。

以前、小田原の石垣山城を訪ねた際、地元のガイドさんが「山城で井戸がこれだけしっかり残っているのはここと春日山城だけ」と言っていたのを思い出しました。

さて、皆さんお待ちかねの「本丸」と「直江屋敷」ですが、それは明日にまわしたいと思います。「春日山城巡り ~その参~」をお楽しみに。


「君の名は」現象?

2009-06-04 12:53:10 | 天地人

今、仕事から帰ってきたばかりなので、今日は「春日山城巡り」はお休みします。

代わりに、ネット上のニュースで見たネタをご紹介。

新潟県内で「日曜、夜8時~8時45分」の水道利用量が減少している

というものです。記事によると「天地人」を見ているため減少しているのではないかとのこと。

まるで、「放送中は全国の銭湯が空になった」という伝説を持つ「君の名は」現象みたいではないですか。

よくよく考えてみると今まで「2時間ドラマ」は見ても「大河ドラマ」は見なかった実家の母が今回の「天地人」は初回から欠かさず見ている…どのくらい真剣かというと「天地人の時間は電話をしないでちょうだい」というほど。

全国的な視聴率は下がっているそうですが、地元の本気度は相当なものとみています。

まさかこんなかたちであらわれるとは・・・。