あけましておめでとうございます。2025年ですね。昨日は新年早々、祖母が施設で入浴のお世話になりました。デイサービスの利用はやめたので(理由は2つ前の投稿)、入浴後はすぐに帰宅し、そのタイミングで家族写真を撮りました。
昨日は薬が効いていたこともあり、カメラの方を向くことが難しかったので、母が少し祖母の顔に手を添え、目線はカメラを向いていないものの無事に撮ることができました。
去年の今頃、祖母が2025年を迎えられるとは思ってもみませんでした。想像することすらできませんでした。私が代表を務める株式会社Amie(エイミー)としては、身内が亡くなっても年賀状含め新年のご挨拶はしています。しかし、プライベートのほうでは、2024年は喪中を出すものだと思い込んでいました。
祖母の生命力、生命の神秘、そして奇跡って本当にあるものなのですね。写真を撮り終えたあと、祖母がまだ生きていること、海外組も含めて家族が集まれたこと、当たり前のようで当たり前ではないことを身に染みて感じていたら、ボロボロと涙があふれてきました。そのシチュエーションが母と弟と私の3人で餃子を包んでいるときに、私だけ一人。
2023年の12月から始まった介護を通して、自分の人生観を見つめたり、感じたり、考えたりと色々と変化しました。そのなかで、私は過去でもなく、未来でもなく、「現在」にフォーカスするようになりました。
それは、変えられない過去にとらわれることなくのびのびと、どのようになるか分からない将来に過度な不安と絶望を抱いて打ちのめされないように。そして、今ある幸せをしっかりと噛み締めて、目の前のことに誠実に取り組む。とてもシンプルな思考になりました。
要介護5であり、認知症も発症した祖母の在宅介護は、はっきりと言って身体面も精神面もとても大変です。特に暴れ狂ったり、衰弱していったりする人間をみつづける精神面。
でも、祖母の下肢切断に至った突然の急性下肢動脈閉塞症、認知症、重度の間質性肺炎などの病、看取りまでやると決めて臨んでいる在宅介護を通して、学ぶことは多いです。それはいい方向に捉えられているものと、まだ消化しきれていないネガティブなものとあります。
しかし、「いつ・どこで・どのようになるか」は、誰も分かりません。自分の体のことすら、どうなるかわからない。だから、とにかく「今」を大切に、楽しく、私の場合は楽観的(課題)に生きていけたらなと思います。