神奈川県川崎市のセレクトショップAmie(エイミー)の代表が綴る徒然日記です。

Amieの仕事のことや趣味、綿の栽培日記など多岐にわたり投稿しております。Instagram→amie_inc.2016

祖母(遺影)と母と私で香川県へ。

2025-02-23 20:30:00 | 香川県
祖母の遺影と共に母と香川県へ2泊3日で行きました。今回の目的は、いくつもありました。

①祖母が願っていた故郷の香川県へ一緒に行く
②祖父の仏壇に手を合わせる
③祖母の実家の仏壇に手を合わせる
④祖父のお墓に手を合わせる
⑤祖母の実家のお墓と昨年12月に亡くなった祖母の弟のお墓で手を合わせる
祖母の弟の仏壇に手を合わせる
⑦祖父の弟夫妻に挨拶に行く
母のいとこに会う
⑨讃岐うどんを食べる
⑩文旦やザボン、ヒャッカ、しょうゆ豆など香川県の思い出の味を買って帰る

JALで羽田から高松へ。


JALには予約の段階で、遺影を持ち込むことを連絡しておき、ご丁寧な対応をしていただきました。母に遺影を持ってもらって記念写真。おばあちゃん、行こう!


本当は、おばあちゃんも一緒に行きたかったよね。ある人に◯年前、「もう二度と会わないと思いますけれど、〜〜〜。」って冷酷な言葉を言われたときは悔しかったよね。おばあちゃんは「何度でも行ってやる」って言う気性だったから私は救われたけれど、本当にあれが最後になってしまったね。私は人の心をえぐるような言葉を放った人のことを忘れない(忘れることはできない)し、天つばだと思うから、きっとその人には何かしらあると思うわ。


羽田から高松は飛行機だと1時間25分ほど。短距離の国内線は眠る間もないほど、一瞬で着きますよね。


奥に見える「さぬき」の文字。おばあちゃん、帰ってきたよ。


予約していたトヨタレンタカーで車を借りました。そのときに頂いたしょうゆ豆とヤドンのうどん☟です。ちなみに、「ヤドン」とはポケモンのキャラクターです。何年かぶりに香川県に行ったら、このヤドンのうどんを売り出しているのか、色々なところで見ました。この日は、ミッションの①②③と⑧の一部を果たしました。


翌日、ビジネスホテルのサービス朝食をいただきました。香川県ではうどんがたいてい朝食ブッフェにもあります。映えを気にせず、食べられるだけとりましたが、ホテル側はもっと種類を用意してくださっています。


部屋に戻って横になりました。突然終わってしまった介護生活。まさかあの日に祖母が亡くなるとは思っていなかったので、一気に糸が切れてしまった私。人生の半分以上を祖母と共に暮らしていました。一緒に住んでいた家族が自宅で亡くなり、突然いなくなることは今回が初めてです。さらに介護が始まってからは、より一層一緒にいる時間が増えて、あの時の顔、あの時の表情、行動、体の重みや体温、祖母らしさ、すべて鮮明に覚えています。そして何より最期、息を引き取るときの祖母の顔や状態が頭から離れません。

このような状況のとき、多くの人が経験するようなごく一般的な反応で、実はあまり体調がよくありません。この後、母も私もお昼ごろまで寝ていました。


そして、お昼過ぎてから動き出した母と私。そんな2日目は④⑤⑥を達成。夜に母のいとこの家で、温かい紅茶を淹れてもらって、母のいとこの子どもたちと喋って、少し元気になりました。祖母のことや介護のこと、祖母の病気や死について話すとまだ辛いので、ここでは全く異なる話をして、気が楽でした。


さらに最終日の3日目。母のいとこからの激励。農協やスーパーでヒャッカやザボン、文旦を探しましたが売っておらず落胆していたところ、祖父の弟夫妻たちが「庭にあるから採っていき」と言ってくれ、ヒャッカや文旦、スイセンをもらいました。そして、少し喋って空港へ向かいました。文旦とスイセンは帰宅してすぐに祖母にお供えしました。ヒャッカは母が帰って早速アク抜きしていました。


高松空港に向かう際、冷やしのぶっかけうどんを食べました。おばあちゃん、うどん、大好きだったよね。介護生活になってから、嚥下機能の関係で麺類は誤嚥しやすいため、ほとんど食べさせてあげることができませんでした。今は、好きなだけ食べられているかな。


レンタカーを返して高松空港へ。今回、行く前から香川県に行くことがものすごく重くて、私が予約したにもかかわらず「行きたくないな」と思ってしまうほどでした。ある時から香川県のある場所に行くと、惨めな気持ちになったり、心が荒んだりするようになり、今回は祖母が亡くなってからまだあまり経っていないのもあって、体も気持ちも重かったです。でも、祖母が行きたがっていたのと、祖母の弟も亡くなって私もお世話になっていたので、手を合わせたい気持ちでなんとか乗り切りました。


香川県で過ごした思い出は、私にとってかけがえのない大切なもの。綺麗なままの記憶で残したい。祖父と祖母がいつも私たちをあたたかく迎えてくれていたから、楽しかった。だから、惨めな思いや屈辱を少しでも味わうことになる場所には、当面の間、足を運ぶことはないような気がします。

それは、私もいつ死ぬかわからないし、わざわざお金をかけて、窮屈なことに時間も労力も費やさなくていいと思うからです。さらに、それを祖父も祖母も「好きにしたらええがな」と言ってくれると思うので。


そして今回は、祖父にも祖母にも悪いけれど、早く帰りたかった・・・。いつもは夜便を選ぶのですが、今回はちょうど夕方と夜便の航空券代が高くて15時台の便に搭乗しました。おばあちゃん、これで良かったかな?香川県への久しぶりの里帰り、堪能できた?一緒に帰ろうね。おばあちゃんのお骨は私たちと一緒だからね。


祖母がまだ頭がしっかりしていた時、私が祖母に「香川県と神奈川県、どちらのお墓に入りたいか」について聞いたことがあります。そしたら、「こっち(神奈川県)に慣れたから」と神奈川県を選びましたので、祖母は神奈川県に眠ります。


おばあちゃん、一緒に帰ろう!!!


機内でドリンクサービスを受けて、祖母と飲もうとしたら、


「おばあさまにもいかがですか?」と客室乗務員さんが言ってくださったので、祖母の分もいただきました。行きも帰りも言ってくださって、お心遣いが沁みました。


帰りの機内からの景色。母と「綺麗だね」「どこだろうね」と見ていました。






雲に隠れてはいましたが、富士山も見えました。おばあちゃん見えてる?


これにて、祖母と母との香川県への里帰りは無事に終えることができました。


長い文章にもかかわらず、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。祖母が生きた証をこのブログに残せて、そしてコメント欄を開けているときはあたたかな言葉をかけていただいて、祖母の最期を看取るところまでがんばることができました。

このブログは、写真映えを気にすることもなく、いいねやフォロワーの数を気にすることもなく、さらに親戚や友人、知人にほとんど知らせていないため程よい距離感で交流ができ、居心地がよいです。

ちなみに、両親やきょうだいは、私がブログをしていることは知っていますが、読んでいません。両親はブログへのアクセスの仕方がわかりませんし、きょうだいもあえて読んでいないそうです。なので、もしこのブログを読んだ私の家族、特に今回は母を知る方々は、ここに書いた内容について家族に連絡しないでいただけると有難いです。

母は母、私は私で、当たり前ですが人格も別ですし、物事の見方も異なります。祖母と母、祖母と私、母と私の関係性もそれぞれです。そして、このブログは、あくまで私が感じたことや心境です。私は綺麗事だけでは済まないのが人生だと思いますし、綺麗なことばかりを書くよりも「現実はこんな感じです」と書くほうが人間臭くていいかなとも思います。それにここに書いていることは、嘘偽りのない事実なので。


最後になりましたが、もう少し私の気持ちや生活が落ち着いたら、また以前のようにブログを更新したり、皆さまのブログを拝読したりしたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祖母と共に香川県へ。

2025-02-20 21:10:00 | 日記
祖母が亡くなってから1ヶ月が経ちました。とてつもなく長く感じる1ヶ月でした。

祖母が病と闘っている間、ずっとお母さんのところ(故郷の香川県)に「連れて行って」と言っていました。そこで、2泊3日の行程で祖母の遺影と共に母と行ってきました。祖母は、最期の方は、お母さんの名前を呼んだり、「おかあさーん」と言ったりしていました。


高松空港に降り立った一昨日も昨日も雪花が散り、時にみぞれが降り、冷たい風が強く吹いていました。「おばあちゃん、寒いな」と言いながら、西へ西へと進みました。そして、祖母の念願の場所に着いたら、次第に太陽が出てきました。



2018年9月に亡くなった祖父に晩年、「ばあちゃんのことをよろしく頼むぞ」と直々に言われていました。そして、祖母の介護をして、看取って、香川県に祖母と行きました。これで、「祖父と祖母との約束を果たせたかな」と先ほど帰宅して、今は少しホッとしています。香川県でのことや心境は改めて書けたらなと思います。


とりあえず、孫の私から一言🙋‍♀️

天国で、もし再会しとんのなら、
喧嘩せんと仲ようしてな!!!
頼むで。


【写真】
2018年11月 祖父の四十九日で訪れたとき。高松空港にて。


2025年2月20日 高松空港にて。



ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん。
お世話になりました、香川県。
またいつの日にか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祖母が自宅に帰ってきました。

2025-02-03 20:10:00 | 日記
祖母は、とてもいいお天気の日に天に昇り、お骨になって自宅に帰ってきました。火葬場での最期の別れ、辛すぎました。あと何回、生きているうえで、この経験をしないとならないのだろうと思うと、なんだか人生が空虚に感じました。
(暗くてごめんなさい)

ところで、小さなことから大きなことまで、母と私は祖母の死後も考え方や過ごし方が違います。摩擦が生じて口論になってもおかしくないくらいです。母も我慢しているでしょうが、私もかなり我慢しています。普段、仲はいいのですが、単純に考え方や行動様式が異なる時があるという。。。

祖母が亡くなった後、一週間も経たないうちにレンタルしていた車椅子や介護ベッド、テーブルの返却をしました。つづけて役所での手続きなどもほぼ終わらせました。

私は祖母の痕跡がなくなってしまうのが寂しくて、もう少し長くレンタル品を置いておきたかったです。一方で、母はすぐに返して骨つぼを置くスペースをつくりたい人でした。

私は祖母のベッドの上でたくさん喋って、オセロやトランプで遊び、手芸もして、毎日ごはんを一緒に食べていたので、思い出がたくさん詰まっていました。そんな私は、祖母がいた証をまだしっかりと噛み締めながら静かに過ごしたい人です。

友達と会う元気もないし、旅に出る気力もない。日常生活においても、悲しみで食が喉を通らない日もあるし、遺影の前で涙が止まらず、音楽を聴きながら浅い眠りにつく日も。介護が終わって楽になったという気持ちはなく、ただただ寂しいです。

一方で、母は動いて気を紛らわせているように見えます。母に自覚はないそうですが、仕事に役所周り(これは私も同行)とものすごく動いています。私は時期尚早と嫌悪感がありますが、トイレの工事も2月に入って早々、予定通り行っています。音も含めて、バタバタと落ち着かない感じがすごく嫌です。
(業者さんや大工さんはいい方たちです)

昨日はお世話になった施設へご挨拶にも行きました。祖母は施設が嫌で、抵抗して、ご迷惑をおかけしました。それでも、今となってはその抵抗する元気さがあったことに懐かしさを覚えました。そして、「この(施設の)駐車場でもなんだかんだと声をあげていたな」と、敷地にいるだけで切なくなりました。

施設には、ちょうど看取りのときに来てくださっていたスキルが高く、最期2日間お世話になった所長さん(看護師)、最初から最後まで嫌な顔ひとつせず常にあたたかく祖母に対応してくださっていた介護士さんがいらっしゃりました。

「(祖母がいなくなって)あみさん、大丈夫ですか?」と声をかけていただいた時は、涙がこぼれました。本当に、本当にお世話になりました。

要介護5でも受け入れてくださったこと、しかも陰気くさくない綺麗な施設、コロナウイルスを理由に外部と遮断して何が中で行われているか分からない施設が多いなか、透明性の高い施設、仕事に対して真摯な方が多い施設、家族と施設の意思疎通がはかりやすかったこと、一人ひとりの要望になるべく沿うように臨機応変に対応してくださる姿勢。母と施設をいくつか見学に行きましたが、「絶対にここがいい!」という理由がたくさんある施設でした。

まだまだ祖母の死を乗り越えられてはいません。特に夜になると辛さが増します。入院してから18ヶ月、自宅に帰ってきてから14ヶ月。祖母とこれまでとは比べものにならないくらいたくさんの濃厚な時間を過ごしてきました。ここから少しの間、私自身の体を休めて、これから生きていく力を溜めようと思います。

さいごに。祖母が晩年の晩年、ずっと「故郷の◯◯に連れて行って」と言っていました。その希望を叶えようと航空券とホテルを予約しました。

遺影とともに香川県に行く予定です。航空券を取る際、きちんとその旨を航空会社にお伝えして了承を得ました。祖母と母と私の親子三世代で香川県の地に久しぶりに行けそうです。そこでも、私は静かに過ごしたいので、あまり人に会わずに香川県の空気を吸ってエネルギーに変えようと思います。

長文にもかかわらず、読んでいただきありがとうございました。寒さ厳しき折、どうか皆さま、お体を大事にお過ごしください。乾燥しているので湿度も大事です。



写真:ストックとデンファレ
お花屋さんで買ったお花。私たちは信仰する宗教はないので、祖母が好きだった紫色のお花や好きなお花を飾っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする