神奈川県川崎市のセレクトショップAmie(エイミー)の代表が綴る徒然日記です。

Amieの仕事のことや趣味、綿の栽培日記など多岐にわたり投稿しております。Instagram→amie_inc.2016

祖母が旅立ちました。

2025-01-21 16:38:00 | 日記
1月20日、15時30分に医師の確認のもと祖母の死亡が確認されました。年が明けてから、あまり良くない状態でした。特に食事はほとんど摂れなくなっていました。命をつないでいたのは、メイバランスミニのヨーグルト味でした。


それでも、17日の金曜日にはお風呂にも行くことができました。そして、その日はほぼ一日中、私はベッド下に座って祖母と2人で戯れていました。メイバランスも飲みながら、穏やかでとても楽しい時間でした。


18日の土曜日。朝6時ごろから痰の絡まったひどい咳が始まり、背中をさすって痰を吐き出させました。そして、午後は滲出液の処置や口腔ケアを看護師さん2人がやってくださりました。医師の往診もありました。


そして、19日の日曜日。意識はあるものの、頻脈がすごく息もハアハアしていました。リットマンの聴診器で私も聴きましたが、ものすごく心臓が速く鼓動を鳴らしていました。看護師が測った血圧は上が88しかありませんでした。脈は150を超えていました。目の焦点も合わず、ほぼ言葉も発せない状態になりました。辛うじて言ってくれた言葉は「あみちゃん」「おーい」「痛い」でした。


そして、午前2時30分。祖母は目を開けて静かにしていました。心臓の音はいつも通りの速さに戻りました。お昼から替えられていなかったオムツが気になったので、私一人でオムツを替えました。このとき、祖母は自分で柵を持ち、私を手伝ってくれました。そして、とろみをつけたOS1を小さなスプーンで10mlは飲みました。


そして、20日の月曜日。熱が37.9度。同じくとろみをつけたポカリやOS1を自分から口を開けたので、小さなスプーンで飲ませました。顎下をよく観察していましたが、嚥下もできていました。


呼吸が13時ごろから悪くなりました。あまりに苦しそうだったので、年明け早々やめていた麻薬入りのテープ(亡くなった後、すぐに返却しています)を再び貼りました。すぐに看護師を呼びました。頻脈がすごくて、脈や血圧は測れないほどでした。それでも、口の中を綺麗にしている間は、棒を噛んでいたずらをしていました。「あみだよ、わかる?」と聞いたら、「うん」とうなずいてくれました。これは、看護師さんも見ていて、「最後まであまちゃんのことわかっていましたね」と言ってくださりました。


そして、14時58分、私たちに心音が聴こえなくなりました。下顎呼吸が始まってから、本当にすぐに、あっけなく逝ってしまいました。でも、最後の最期、苦しむ時間は短かったようです。私はあまりにもショックで泣きじゃくり、訳がわからなくなりましたが、医師も看護師もおっしゃっていました。


死亡判断は医師のみが行えるので、医師が確認してくださった15時30分に死亡と確定されました。医師が死亡診断書を書いてくださっている間、看護師が祖母の体を綺麗にしてくださりました。


その後、母と私で祖母に着物を着せ、私がエンゼルメイクを施しました。祖母の影響で好きになったメイク。私の大好きなアイテムを使ってメイクをしました。家族は「穏やかな顔で、生きているようだ」と言っていました。21時、祖母は葬儀屋さんにお迎えに来てもらい、自宅からは離れていきました。安置所で面会ができるそうなので、一度祖母と会おうと思っています。


現在、川崎市の火葬場はとても混んでいるようです。155万人かつ日本の自治体のなかでも珍しく人口が増えている川崎市は、人口に対して火葬場が北部に1箇所、南部に1箇所と少なすぎるように感じます。ドライアイス、冷蔵と亡くなったあとも中々天へと行けないこの状況を重く捉え、今後、何かしら働きかけていこうかなと思っております。自宅の近くに火葬場ができることを嫌がる方が多いそうです。でも、死に直面し辛いとき、大変なとき、この状況はもっと辛くさせます。


今は私自身、喪失感に襲われ、二度と祖母とお喋りできないんだという寂しさが押し寄せています。約14ヶ月、介護がある生活だったので、突然終わりが来てしまい、ただただ寂しく、虚しく、私の存在価値すらないような気がしています。今は非常に落ち込んでいて、無気力です。


小さな頃から、祖父と祖母が住んでいた場所が私が一番好きなところでした。時に勉強や習い事から解放される私にとって唯一安心感のある逃げ場でもありました。そして、なによりおばあちゃん大好きっ子だったので、とても寂しいです。


しばらくは私も涙があふれてきてしまう期間がつづくと思います。そのため、静かに過ごしたい気持ちです。でも、時を見て、祖母がずっと行きたいと言っていた香川県の地にお骨と遺影を持って、母と3人で香川県の空気を吸いに行きたいと思います。


おばあちゃんへ

今までたくさん私のお世話をしてくれてありがとう。弟が生まれるときや病気になったとき、いつも遠いところにもかかわらず、駆けつけて泊まり込みで妹と私のお世話をしてくれて、ありがとう。


幼稚園生の頃、くるみ割り人形でネズミ役をやったことをいつも楽しそうに話してくれたよね。その発表会の前に、妹とおばあちゃん家で過ごしていて、母の目がないから、バレエの発表会の前なのに、私だけたくさん食べてぶくぶく太って帰って、すごくびっくりされたよね。そのとき、母に怒られたのはおばあちゃんだったね。私はたくさん食べられて幸せだったよ。


それから、私が受験で第一志望に受からず、絶望的な気持ちで春休みに一人でおばあちゃん家に行ったとき、静かに見守ってくれてありがとう。でも、嫌々ながら通い始めた学校で、心の友といえる友達ができて、今もその関係はつづいているよ。実は、おばあちゃんのこともよく話すんだ。

おばあちゃんと顔に美容パックをしたり、コーヒーを飲んだり、ソフトクリームや焼き芋を食べたり、すごく楽しかった。似た者同士だから、時にぶつかったけれど「それが生き甲斐やった」と言ってくれて、私は救われたよ。

私たちが遊びに行く夏休みや冬休み、春休み、いつもたくさんの作物を育てて待っていてくれてありがとう。それから、ダンボールいっぱいに送ってくれてありがとう。イチゴ狩り、スイカの食べ放題、芋掘り。何でもやりたい放題。食べ放題。あれが贅沢なことだと知ったのは大人になってからだったわ。作物はすぐに育つものだと思っていたけれど、自分でやって初めて、土づくりから難しいものだと知ったよ。


天国では、聴覚と脚があって、好きなところに行って、好きなだけ食べて、楽しく舞ってね。そして、私もそちらに行く日が必ず来るので、そのときは、迎えてね。一緒にカフェオレを飲んで、トランプとオセロをして、旅行にも行こうね。スキンケアとメイクは任せて。あとは何よりたくさん話そう。

月命日には必ずおばあちゃんの好きなものを供えて話しかけるので、夢にでもいいから出てきてくれると嬉しいな。

おばあちゃん、たくさんの愛情をありがとう。必ずまた会いましょう。

あみより



旅行先では、ほぼほぼ祖母と同じ部屋でした。

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あけましておめでとうございます。

2025-01-03 12:00:00 | 日記
あけましておめでとうございます。2025年ですね。昨日は新年早々、祖母が施設で入浴のお世話になりました。デイサービスの利用はやめたので(理由は2つ前の投稿)、入浴後はすぐに帰宅し、そのタイミングで家族写真を撮りました。


昨日は薬が効いていたこともあり、カメラの方を向くことが難しかったので、母が少し祖母の顔に手を添え、目線はカメラを向いていないものの無事に撮ることができました。




去年の今頃、祖母が2025年を迎えられるとは思ってもみませんでした。想像することすらできませんでした。私が代表を務める株式会社Amie(エイミー)としては、身内が亡くなっても年賀状含め新年のご挨拶はしています。しかし、プライベートのほうでは、2024年は喪中を出すものだと思い込んでいました。


祖母の生命力、生命の神秘、そして奇跡って本当にあるものなのですね。写真を撮り終えたあと、祖母がまだ生きていること、海外組も含めて家族が集まれたこと、当たり前のようで当たり前ではないことを身に染みて感じていたら、ボロボロと涙があふれてきました。そのシチュエーションが母と弟と私の3人で餃子を包んでいるときに、私だけ一人。


2023年の12月から始まった介護を通して、自分の人生観を見つめたり、感じたり、考えたりと色々と変化しました。そのなかで、私は過去でもなく、未来でもなく、「現在」にフォーカスするようになりました。


それは、変えられない過去にとらわれることなくのびのびと、どのようになるか分からない将来に過度な不安と絶望を抱いて打ちのめされないように。そして、今ある幸せをしっかりと噛み締めて、目の前のことに誠実に取り組む。とてもシンプルな思考になりました。


要介護5であり、認知症も発症した祖母の在宅介護は、はっきりと言って身体面も精神面もとても大変です。特に暴れ狂ったり、衰弱していったりする人間をみつづける精神面。

でも、祖母の下肢切断に至った突然の急性下肢動脈閉塞症、認知症、重度の間質性肺炎などの病、看取りまでやると決めて臨んでいる在宅介護を通して、学ぶことは多いです。それはいい方向に捉えられているものと、まだ消化しきれていないネガティブなものとあります。


しかし、「いつ・どこで・どのようになるか」は、誰も分かりません。自分の体のことすら、どうなるかわからない。だから、とにかく「今」を大切に、楽しく、私の場合は楽観的(課題)に生きていけたらなと思います。
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介護記録で今年を締めます。よいお年を。

2024-12-31 17:09:00 | 日記
こんにちは。大晦日ですね。今年も祖母と年越し、そして新年を迎えられそうで、感慨深いです。さて、昨日、書いた記事を下書き保存していました。時制を本日に合わせず、そのまま投稿します。


***

こんにちは。晦日なんですね。今年は、介護中心の生活になり、特に6月以降は予断を許さないときが何度もありました。毎日毎日が必死で、精一杯で、今年を振り返る余裕も来年の抱負も特にありません。ただ、ひとつ言えるのは、時(とき)というのは、どんなに辛くても、悲しくても、寂しくても、過ぎるんだなと実感しているということです。


祖母は昨夜から咳が止まらず、私が祖母の体を右に向けたり、左に向けたりしていました。ようやく深夜1時ごろに咳も落ち着き、私も寝ました。しかし、3時半ごろ、祖母は大きな声で叫び始めました。「いたーーーーい。」「あみちゃーーーーーん」など。


私は叫ぶこと自体は、そのままで大丈夫だと思っているので、酸素のカニューラが外れていないことを確認して寝ようとしていました。しかし、年末年始で家族が集まってきているので、母がなんとか薬をのませようとしていました。せん妄で興奮状態のときは、頑なに口を閉じて薬をのまないことを知っているので「(無理矢理のませず)もう、なすがままにしておいてあげたらいいじゃん。」と言って、私は再び朝6時ごろに寝ました。


在宅介護をしているなかで、特に辛いのが「苦しんでいる人間をみつづけること」です。「人間、ここまで苦しくなっても、死ぬことができないんだ」という状況を目の当たりにしています。あまりにも見え過ぎてしまうがゆえの辛さです。


かつての祖母は、よく食べ、クイズ番組やサスペンスドラマが好きで、毎朝暗いうちから新聞を読んで、認知症予防のテキストも自らやって、化粧をしていました。そんな祖母の姿は、今はありません。苦しそうなときが多くなり、変わり果てた祖母をみていると、私の気持ちがどうしようもなく追いつかない日があります。しかし、これも個人差があって母は私とは捉え方が異なります。


母は「これだけやったからもう十分。おばあちゃんは幸せだよ。」と言います。そして、亡くなったら「よくがんばったね。」と言って送り出すと言っています。母の言うこともよくわかります。私も、もし祖母が亡くなったら「天国では、(脚を返せと泣くので)脚がある世界で、大好きな日本舞踊を踊ってね。」と言うと思います。


しかし、今、それよりも私は「死に向かう介護はあまりにも辛すぎる。苦しそうな姿を見るのが本当に辛い。」という気持ちが上回ってしまっています。だからといって、何かを変えるつもりはありません。ここまできたら、最期までやり切るしかないと思います。覚悟はあります。ただ、時に気持ちが落ち、やり場のない辛さと闘っています。特に今月は祖母が急変したり、医療麻薬のテープを使ったりと病状が悪い方向に一気に進んだことも影響しています。


それから、これは住んでいる地域によると思うのですが、川崎市在住の場合、亡くなってからも過酷です。それは、火葬場が混雑していて、すぐに火葬はできないので、およそ1週間から10日、冷凍保存されます。生きているときは病に苦しみ、亡くなってからも冷凍される。想像するだけで疲れるので、なるべく考えないように。その点、香川県の祖父は亡くなってから、すぐに天国へ行くことができました。


介護。言い方を変えれば、今年は祖母と過ごす時間を大切にしていたので、それは全うできたと思います。誰よりも祖母の近くで過ごしました。だから祖母は、寝言でも起きていても、まずは「あみちゃーん」と呼びます。これは、思考よりも本能が強い現在の祖母からのギフトのようなものだと思っています。


そんな祖母に願うはあとひとつ。「どうか苦しむ時間は短く、少しでも穏やかに過ごせますように。」です。ちなみに、量は少ないながらも、お米やバナナを食事介助したら食べています。


さて、まだ19時台なのですが、寝られる時に寝ておこうと思います。そして、このように書きながらも、私はよく笑うほうで、今日もなんだかんだ笑った気がしますので、ご心配なく。
それでは明日、更新するか分からないので、、、

皆さま、よいお年を♡

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何もかも疲れ過ぎた日。

2024-12-26 22:00:00 | 日記
こんばんは。今日は朝から祖母が荒れていて、今も大きな声で「泥棒、泥棒」と叫んでいます。15分にも満たない私の入浴中も「あみは、泥棒ばかりして死んだ」と聞こえてきました。
*何も盗んでおりません。

今日は朝から凄まじく大きな声で叫んでいて、雲行きが怪しいと感じていましたが、それが見事に的中してしまいました。今日は入浴のみで施設に送り出しましたが、そこでも大変だった様子がわかりました。


この一週間、体を酷使することがつづきました。先週の木曜日から風邪で体調を崩している父は2階で生活、祖母は1階と分けていたため、母と私の負担は増していました。父は、クリニックでの検査の結果、コロナやインフルエンザは陰性でした。しかし、ものすごい咳と痰が音で伝わってくるので、配膳や洗濯物など家事が増えました。


他にも年末年始という季節柄、非日常のことがあり、さすがに私も今日は疲れ果ててしまい、泣きたい気分です。


祖母は大きな声で叫ぶので、施設で他の方が眠れないとの訴えがあったと聞きました。そのため、11月の1泊を最後に泊まりはやめています。さらにそのような祖母なので、デイサービスの利用もやめ、今は週に1回の入浴のみにしています。


たとえば、今日は13時過ぎに施設から迎えが来て、14時には帰宅という形です。移乗をして送迎車を見送ったあと、その1時間でシーツや枕カバーなどを洗い、介護ベッドにベッドメイキングをします。それから、洗濯を干し、掃除機をかけます。そして、酸素吸入器に精製水を入れ、ドリンクを飲むカップ2個を洗い、替えの新しいものにストローをセットしておきます。それから施設に提出する書類に印鑑を押し、別紙にサイン。


今日はここで、祖母が帰宅しました。光陰矢の如しとでもいうのでしょうか、あっという間に1時間は過ぎ、休む暇もありません。自由に予定も立てられず、行きたいところにも行けない生活。慣れたといえば慣れましたが、今日のように一日中、祖母が不安な日は、特に疲れが溜まります。


おばあちゃん、お薬、のんで。でも、こういう日は絶対にのんでくれません。先ほど、口に含みましたが、少し溶け出した錠剤をすべて洗い立てのタオルケットにぷっと吐き出しました。あとは、本日ラスト一回(3回目)、今から洗濯物を干します。
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介護するうえで意識していること。

2024-12-11 18:43:00 | 日記
こんばんは。師走ですね。祖母が先週の急変から少し持ち直し、今日は久しぶりにトランプで遊ぶことができました。年末年始は、海外組も帰ってくるのでこのまま祖母と「会えるといいな」と心で思っています。


さて、タイトルの件について話をします。在宅介護をして一年、私はものすごいスピードで老けたと思います。人によっては「介護を言い訳にしている」と捉える方もいらっしゃるでしょう。価値観や経験値はそれぞれなので、それはそれでいいと思います。

でも、私は鏡に写る自分やビデオ通話の際の画面に写る自分、写真(今は祖母や家族以外とは本当に写りたくないので撮らない)で感じます。そこで、「なぜ、老けたのか」自分なりに分析しました。


【考察】
①自分の見た目に気を遣う時間が減った。
→家にいるときが一番忙しく、余裕がない。また夏はオムツを替えるだけでも顔から汗が吹き出て、化粧どころではなかった。さらに、一番の原因は目元の荒れが治らず、化粧ができない。

②スカートやワンピースはクローゼットで眠り、選ぶ服装は動きやすく、洗濯機で気兼ねなく洗えるもの。たとえば、ズボンやTシャツ、スウェット。靴はスニーカーの一択。
→オムツ交換や移乗はズボンがマスト。また祖母に洋服を強引に引っ張られたり、車椅子を押したりするので、動きやすく丈夫な服。

③第三者に指摘されるほど、睡眠不足で顔の疲れが出てしまっていること。
→これが一番の原因だと思う。母の顔が特に深刻。

以上。


①の目元の荒れについては、一年以上治りません。皮膚科でステロイドの薬2種類と保湿剤を処方してもらって、治るようにとがんばっているのですが、良くなっては悪化、悪化しては少し良くなるの繰り返しです。2箇所の皮膚科に行ってみましたが、原因がわかりませんでした。ただ、人に感染させるものではないようです。

私の趣味は、コスメ集めやメイクすることでもあるので、この状況は非常にストレスです。
☟好きなアイシャドウパレット🎨


☟赤みがある時の右のまぶた。本当になんなんだーーー😩😩😩



一方で、プロの力を借りてキープできるところは、なるべく意識高く持とうしています。たとえば、美容院。これまでカットは3ヶ月に1度くらいの頻度でしたが、今は1ヶ月半に1度の頻度で通って髪の毛をケアしてもらっています。






スニーカースタイルも大好きですが、私のクローゼットのなかは、圧倒的にスカートやワンピースが多いので、落ち着いたら着たいと思います。

☟ヒール👠昨年、ワンピースというか、黒のドレスを買いました。そのドレスはとても裾が長いものです。そのため、後ろ側のヒールが12cm〜15cm、前側も4〜5cmはないと引きずってしまうので、ネットで買ってみました。



ちなみに、お気に入りのスニーカーは、NIKEのエアマックス90 LV8の少し厚底のもの♩色違いも買ったほどお気に入りです。



それから、気になる美容医療についても調べました。その過程で動画も見ました。しかし、痛々しくてほんの少ししか見られませんでした。そして、結論「今の私には無理だ」と思いました。痛がりで注射が大嫌いな私は10秒で諦めがつきました。



そんなこんなで、好きな美容のことは楽しみたいですし、目元が安定したらファンデーションやアイシャドウを思いっきり使いたいです。
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