トゥーラ・プリャニク ( тульский пряник, tulskiy pryanik )
お菓子に刻まれた「Тульский」(トゥーリスキー)は、ロシア語で「トゥーラの」という意味
13-14年つかっていた Windows7がフリーズが繰り返すようになって、「心残りで後ろ髪をひかれるものの、やっとの思いで」今年の10月に新しく買い替えました。ハードディスクからデータを転送することになりました。うつらうつら画像を整理していると、7年前の2017年のファイルの中に上のような写真が見つかりました。お菓子室にお呼びしたお礼として頂いたトゥーラ・プリャニク※です。
※プリャニク:スパイスの効いた焼き菓子の意で、その語源は、形容詞пряный(プリャーニィ=スパイスが利いて香ばしい、古形は пьпьрянъ)に因み、スパイスや香辛料を意味していたперец(ピェーレツ=コショウ、古形はпьпьрь)がもとになっています。トゥーラは町の名です。
お国に連絡をして送っていただいたのかそれとも別便で送っていただいたものなのか、教室にお呼びしてから少し間が空いてからのご返事だったのでその意外な贈り物に驚いたことを思い出しました。包みを開けるとさらにビックリ。まるで木彫のような外観で、写真では伝わってきませんが、手にすると感じるずっしりとした重さと焦げ茶色に光った様は「これって木じゃないの?」としか思えないものだったからです。お菓子ではあるけれども「ただものではない。」というのが正直な感想でした。大切な、国を代表するお菓子であったことは間違いないようです。だからでしょう、年明け早々の2018/1/6にロシアのサイトからトゥーラ・プリャニクのレシピをファイル『新しいお菓子』の中に9つ引っ張り出していました。
あの時どのような思いでお菓子を送っていただいたのだろうか・・・・・・・・・・・礼を失することはなかっただろうか。思いは深まるばかりです。
今回買い替えたWindows11の翻訳機能とCopilotを使ってロシアのジンジャーブレッド:トゥーラ・プリャニクに挑戦してみようと思いました。
トゥーラと同じくプリャニクで有名なゴロデッツのジンジャーブレッドスタンプ。精緻な文様にビックリです。
まづトゥーラ・プリャニクの歴史から始めます。過去に遡ることでトゥーラ・プリャニクを作る何らかのヒントが得られるのではと思うからです。
「プリャーニクの歴史」を検索すると『古代ローマの市民には、「パーヌス・メリトゥス ( panus mellitus )」すなわち蜂蜜を塗って焼いたパンは馴染みのあるものだった。』という文章が出てきました。古代ローマの料理書Apicius (Apicius de re Coquinaria ; 1-5世紀) を「蜂蜜とパン」で検索すると次の2つのレシピが見つかりました。
The Project Gutenberg eBook of De Re Coquinaria, by Apicius から
[296] ANOTHER SWEET DISH ALITER DULCIA(もう一つの甘い料理-フレンチトースト)
BREAK [slice] FINE WHITE BREAD, CRUST REMOVED, INTO RATHER LARGE PIECES WHICH SOAK IN MILK [and beaten eggs] FRY IN OIL, COVER WITH HONEY AND SERVE [1].
[16] TO MAKE HONEY CAKES LAST UT DULCIA DE MELLE DIU DURENT(蜂蜜菓子を長持ちさせる方法)
TO MAKE HONEY CAKES THAT WILL KEEP TAKE WHAT THE GREEKS CALL YEAST [1] AND MIX IT WITH THE FLOUR [51] AND THE HONEY AT THE TIME WHEN MAKING THE COOKY DOUGH.
[1] Tor. and Tac. nechon; G.-V. cnecon; Dann. Penion.
保存が効くハニーケーキを作るには、ギリシャ人が「クネコン( cnecon:イースト)」と呼ぶものを使って、粉と蜂蜜と一緒にクッキー生地を作るときに混ぜます。」
Apicius の中でこのレシピ以外にcneconは見当たりません。cneconの正体ははっきりとしませんがおそらく取り残しておいた生地を入れる(Pâte fermentée等)か、ルヴァンを使う方法を取ったのでしょう。蜂蜜に含まれている自然のイーストを利用したのだと思います。
最初のレシピはフレンチトーストのレシピと思しきもので、2つ目は日持ちさせるための蜂蜜ケーキの作り方です。小麦粉と一緒に蜂蜜を混ぜて焼くと長持ちするというものです。砂糖がない(なくもないのですが薬としての使用しかできなかった)ので蜂蜜を使ったのでしょう。小麦粉の中に蜂蜜を入れて捏ねるという慣習はその後のヨーロッパに伝わったのでしょうか。ローマから遠く離れたロシアに? 多少の可能性はないこともないといったところでしょうか。ローマのレシピがロシアのプリャーニク作りに影響を与えたプロバビリティはなくもない・・・・・・しかし気に留めておく必要はありそうです。(『蝸牛考』を持ち出さずともローマから遠く離れたロシアに到達した蜂蜜のレシピが長くロシアに留まってローマ時代そのままの姿を今に残しているということは十分にあり得ることです)・・・調べる価値はありそうです。
トゥーラ・プリャニクのスタンプ
今に伝わるトゥーラ・プリャニクを引用してみましょう。
Web から60ばかり取り出し、内容を精査したところ次の正統派?と思しきレシピが2つが残りました。
Классический тульский пряник и рецепт его приготовления から(重複する表現は削りました)
古典的なトゥーラジンジャーブレッドの材料
小麦粉 3カップ(360g)、蜂蜜 100グラム、バター 大さじ4、卵 2個、重曹 小さじ1/2、ジャム 200グラム
砂糖 大さじ1 (ウクライナ及びロシア南西部で産する小麦粉のタンパク含量は10-12%です。中力粉に当たります)
古典的なトゥーラジンジャーブレッドを調理する手順
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事前に、バターを柔らかく (ただし、溶かして液体の状態にしない)してから、蜂蜜と卵2個を加え ます。均質なるまで混ぜます。
蜂蜜が結晶化状態にある場合は、水浴に溶かし、生地が室温に冷えた後に生地に加えます。 -
ふるいにかけた小麦粉にソーダを入れてやさしく練ります。捏ねるのが難しい時は、4分の1カップの温水を追加します。
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詰め物は粘度を持たせるためにジャムには砂糖を加えて徹底的に煮ます。
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よく練った生地は、(最適な厚さは5〜6 mm) に延します。1つのジンジャーブレッドには、2つのレイヤーが必要です。詰め物は最初の層にのせ、2番目の層で覆います。両方の層は、フィリングの漏れを防ぐために慎重にくっつけます。
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生地を木型に移して成形し、次にベーキングシートに移します。
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ベーキングの最初の段階 (期間 – 1〜1.5分) では、320度で焼きます。次に、ジンジャーブレッドをオーブンから取り出し、冷却して260〜270度で5分間焼きます。
砂糖釉薬の場合、粉砂糖をふるいにけ、すでに温水がある鍋に注ぎます。塊は、絶えず攪拌しながら40度に加熱されます。得られた釉薬をブラシでジンジャーブレッドに塗布します。
ここには焼き温度が書かれていませんが、次のサイトではその表示がありました。
トゥーラジンジャーブレッドの焼き方 Народные промыслы | Тульский пряникから
トゥーラジンジャーブレッドの味の多様性は、生地の組成、生地の準備方法と焼き方、そしてもちろんスパイスや添加物によって異なります。昔は「ドライスピリッツ」と呼ばれていました。その中で最も人気があったのは、黒胡椒、イタリアンディル、オレンジピール(ビターオレンジ)、レモン、ミント、バニラ、生姜、アニス、クミン、ナツメグ、クローブでした。トゥーラジンジャーブレッドの詰め物でさえ、ボグチャロヴォとアルセニエフスキー地区で育った特定の種類のベリーとリンゴからのみ作られました。ジャム、ジャム、トゥーラ県で栽培されている果物や果実のジャムを詰め物として使用することで、有名な繊細さは他のジンジャーブレッドクッキーと味と香りが区別されます。
小麦粉3カップ、蜂蜜100g、バター大さじ4、卵2個、ソーダ小さじ1/2、砂糖釉薬を取ります。詰め物:ジャム200g、大さじ1。
柔らかくなったバターに蜂蜜、卵を加え、すべてを完全に混ぜます。結晶化した蜂蜜は、結晶が溶解するまで予熱し、室温まで冷却する必要があります。次に、重曹と混ぜたふるいにかけた小麦粉を加え、生地をこねます。生地がうまくこねられず、硬すぎる場合は、1/4カップの水を追加できます。
準備した生地を厚さ5〜6 mm、ジンジャーブレッドごとに2層に広げます。レイヤーのサイズは、ステンシル型のサイズに対応している必要があります。生地の最初の層に詰め物を置き、2番目の層を上にして覆い、生地の端をくっつくように圧着します。次に、生地を端に沿って位置合わせし、手で層を圧着します。準備した半製品を油を塗った型に移し、木製のラストでジンジャーブレッドを形作り続けます。テーブルの上の木製のステンシル型を軽く叩いて、型抜きされた生地を型から外し、植物油を塗った天板に置きます。
ジンジャーブレッドは2つのステップで焼く必要があります。まず、320度の温度の非常に熱いオーブンに入れ、1〜1.5分間焼きます。次に、ジンジャーブレッドをオーブンから取り出し、冷ましてさらに560〜270度の温度で焼きます。その後、ジンジャーブレッドを完全に冷まし、ブラシで砂糖釉薬を塗ります。
詰め物を準備するには、ジンジャーブレッドを焼くときにジャムが十分に濃くなり、広がらないように砂糖で茹でます。
粉砂糖を準備するには、粉砂糖1カップ、大さじ4が必要です。
粉砂糖をふるいにかけ、鍋に注ぎ、温水を注ぎます。へらで攪拌しながら釉薬を40度に加熱します。釉薬が厚すぎる場合は水を加え、液体の場合は粉砂糖を加えます。
重曹がヨーロッパで使われだしたのは19世紀初頭ですから、17-18世紀の複雑なパターンのジンジャーブレッドがトゥーラで焼かれ、販売された時代に重曹はまだありません。ここには書かれていませんが、練られた生地は時間をおいて寝かせてから焼いたと思われます。
上の他のレシピには砂糖が入っています。1600年代にロシアに砂糖はあったのでしょうか。
Так ли уж плох Домострой - Из рода в род (サイトにはDomostroiの要点が記載されています)
Сильвестровская редакция(シルヴェストロフスカヤ・レダクツィヤ :それまでのDomostroi / Домострой を手直し編纂したもので16世紀のロシア社会における宗教的、社会的、家庭的事柄に関する規則、指示、助言をまとめた家庭の手引書)の中には砂糖の文字は見当たりません。ここに引用したものはドストモロイの一つの版でイヴァン4世(イヴァン雷帝)の腹心であるモスクワ総主教シルヴェストル(生年不明-1566没)がそれまでに支配階級に流布していたものを手直したものです。彼の名前にちなんで特に Сильвестровская редакция(シルヴェストロフスカヤ・レダクツィヤ)と呼ばれています。編集は当時の教会の教義や儀式に基づいて行われ、ロシア正教会の伝統を反映しています。この書物の中に「蜂蜜」の文字は10ありました。 尚、ロシアに砂糖の輸入が始まったのは17世紀の終わりのピョートル大帝(1672/6/9 -1725/2/8)の1600年後半になってからということになります。砂糖を使ったレシピは検討の余地がありそうです。
Сильвестровская редакция(シルヴェストロフスカヤ・レダクツィヤ)の時代の料理書をあと2-3冊引用すれば初期のトゥーラ・プリャニクの姿をはっきりと知ることができます。現在のそれと比較することで現在から今に至るトゥーラ・プリャニクの変遷を知ることになるのですが、どなたかネットから引き出せる方法(address)をご存じないでしょうか。。お教えいただけるとうれしいのですが。
つづく