7. 耳
2017/6/26から6/30のブログでお菓子の「お菓子-耳」について述べましたが、料理(オレキエッテ)についての考察がまだ残っていました。今回は「料理-耳」について書こうと思います。
(カテゴリー内の“中世料理-耳”を見ていただくと、「耳」と呼ばれている(レシピの)歴史の一連のお話がつながります。)
料理で耳といえば、思いつくのは、耳の形をしたオレキエッテ( Orecchiette )です。オレキエッテは現在、イタリアのプッリャ州( Puglia )とバジリカータ州( Basilicata )で特に親しみのある、地域を代表するパスタです。タランティーノとヴァッレ・ディトリアでは " 小石:chiancarelle ", “小さい耳: recchjetedd ” は互いに同義語です。大きさは1.8cmほどの小さい白いドーム状をしていて、辺縁は細く表面が粗いパスタです。種類が多いですがいずれも小麦粉と塩水だけで作ったパスタです。
オレキエッテの起源は上で述べたプッリャではなく、最も可能性が高いと言われているのはフランスプロヴァンス地方です。ここは中世から南フランスの硬質小麦でパスタを作っていた地域です。非常に厚みのある皿状の形をした、真ん中に親指で押して穴を開けたものでした。その独特の形は、乾燥しやすく飢饉に備えての保存性を高めるためのものでもあり又、船の長旅に備えるためでもありました。
オレキエッテはプッリャ州とバジリカータ州に今もあり、13世紀にその地を治めたアンュー家から広がったと言われています。
12-13世紀にわたってドイツ南西部のノルマン人がオレキエッテ発祥の地であるサンニカンドロ・ディ・バーリ(イタリア共和国プッリャ州バーリ県にある基礎自治体)をイスラエル共同体保護の目的で支配下に置いたことがあります。その当時、ユダヤ人の伝統的なレシピの中に「ハマンの耳」、「クロワゼット」、「オクシタンの谷で作られたパスタ」と呼ばれるものがありました。その地、サンニカンドロ・ディ・バーリはサニカンドロから遠く離れているのでオレキエッテには中東イスラムの影響があったのではと考えられます。
2017/6/26から6/30のブログでお菓子の「お菓子-耳」について述べましたが、料理(オレキエッテ)についての考察がまだ残っていました。今回は「料理-耳」について書こうと思います。
(カテゴリー内の “中世料理-耳” を見ていただくと、「耳」と呼ばれている(レシピの)歴史の一連のお話がつながります。)
料理で耳といえば、思いつくのは、耳の形をしたオレキエッテ( Orecchiette )です。オレキエッテは現在、イタリアのプッリャ州( Puglia )とバジリカータ州( Basilicata )で特に親しみのある、地域を代表するパスタです。タランティーノとヴァッレ・ディトリアでは " 小石:chiancarelle ", “小さい耳: recchjetedd ” は互いに同義語として使われています。大きさは1.8cmほどの小さい白いドーム状をしていて、辺縁は細く表面が粗いパスタです。種類が多いですがいずれも小麦粉と塩水だけで作ったパスタです。
しかし、オレキエッテの起源は上で述べたプッリャではなく、最も可能性が高いのはフランスプロヴァンス地方だと言われています。ここは中世から南フランスの硬質小麦でパスタを作っていた地域です。非常に厚みのある皿状の形をした、真ん中に親指で押して穴を開けたものでした。その独特の形は、乾燥しやすく飢饉に備えての保存性を高めるためのものでもあり又、船の長旅に備えるためでもありました。
オレキエッテにはプッリャとバジリカータがあり、13世紀にその地を治めたアンュー家から広がったと言われています。
12-13世紀にわたってドイツ南西部のノルマン人がオレキエッテ発祥の地であるサンニカンドロ・ディ・バーリ(イタリア共和国プッリャ州バーリ県にある基礎自治体)をイスラエル共同体保護の目的で支配下に置いたことがあります。その当時、ユダヤ人の伝統的なレシピの中に「ハマンの耳」、「クロワゼット」、「オクシタンの谷で作られたパスタ」と呼ばれるものがありました。その地、サンニカンドロ・ディ・バーリはサニカンドロから遠く離れているのでオレキエッテには中東イスラムの影響があったのではと考えられます。
The Norman-Hohenstaufen Castle
つづく。
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