源氏と六条御息所の別れの歌 (源氏物語)
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集
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紫式部が、「源氏物語」の登場人物に詠ませた恋の歌をもう少し見てみよう。六条御息所が斎宮に卜定された娘と一緒に伊勢に下ることになり、内裏から二条にある源氏邸の前を通るというので、さすがに見過ごすこともできない源氏が、榊の枝に挿して届けた歌。
ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬(やそせ)のなみに袖はぬれじや 「賢木」 源氏
(私を振り捨て、都も振りすてて、あなたはつれなく伊勢にお下りになるが、いざ鈴鹿川をお渡りになろうというとき、その八十瀬に立つ瀬波に袖がぬれるように、私と別れて遠く来たことを後悔してお泣きにならないでしょうか)
読み方によってはずいぶん思い上がった言い方だとも取られかねないが、源氏にはそういえるだけの愛に対する自負も実質もあったのだといえるだろう。御息所はすでに逢坂を越えたところから返歌をされた。
鈴鹿川八十瀬の波にぬれぬれず伊勢まで誰か思ひおこせむ
(鈴鹿川の八十瀬の波に私の袖が濡れようと濡れまいと、そんなことはもうどうでもよいこと。誰が伊勢に下った私のことまで思いやってなど下さるでしょう)
御息所の下句には少し甘えの口調もあるのだが、源氏は「八十瀬の波にぬれぬれず」と放恣(ほうし:わがままでしまりのない)に言い放ったあたりに、この恋をすでに突き放しているような口調を感じたのか、もう少し女らしい情緒で応じてくれればいいのに、と思ったりしている。年上の御息所が絶望のあまりに都のくらしそのものを捨てる決意をするまでの、激しく内燃的な恋の経緯が改めてかえりみられるような贈答である。
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」