源氏の時鳥の歌 (源氏物語)
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集
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その後、源氏は朧月夜との恋の発覚から右大臣家の圧力に堪えきれず須磨にしばらく引退を決意し、諸方にお別れの挨拶にまわったが、こんな時にもかつて交際のあった女性の方々には丁寧に洩れることなく足まめであった。その一つ「花散里」の巻は短いながら、さっぱりと小粋な風流心が美しい。
桐壺帝の女御麗景殿の妹の花散里を訪問する前段に、中川のほとりを過ぎようとして、かつて一度だけ通った宿のことを思い出し、大きな桂の木の追風の香りに感慨を催していると時鳥(ほととぎす)が鳴いて過ぎた。それに誘われるようにふと歌が生れる。
をちかへりえぞ忍ばれぬほととぎすほのかたらひし宿の垣根に
「花散里」 源氏
(昔お逢いしたこの場所にやってきましたが、折しも過ぎゆくほととぎすの一声に堪えがたくなりました。あなたとほのかに語りあったあの一夜のことが)
この歌に使われている「ほのか」という言葉は微妙な働きをもった言葉で、源氏はほととぎすが「ほのか」に鳴いて過ぎたほど、ほのかにあなたと語らったことがある、と相手の記憶に訴えているのであり、この歌を届けるに当って「おぼめかしくや(覚えているかなあ)」というちょっとした躊躇があって使った言葉である。
雰囲気がある歌で、再び交際がひらかれてもおかしくない歌の場だが、女性の方は思い出していたとしても、かなり以前の記憶だったのか、少し気取りとプライドを見せようとしたのだろう。
「歌の主はたぶんあの方と推察しますが、折ふしの五月雨空で、おぼつかのうございます」と、曖昧げな返事をして、それほどゆとりもない源氏がわに今は男でも通って来ているのかもしれないと思わせてしまった。
源氏の歌は遠さの回想から生れた「ほのか」さである。
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」