6-2 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集
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6-1 のつづき
浮舟もその様子を見て身にしみる悲しみにとざされている。流れる涙を、私のようなものの袖ではとても塞ぎとめきれないのに、どうしていまの別れをとめることができよう、とうたいかえし、うしろだてのない非力な存在としての自分の立場を認識しなおすほかなかった。
この後、匂宮が宇治に行くことは全く不可能であったが、薫は折を得て宇治に赴き、久しぶりで浮舟に逢った。浮舟は匂宮との秘密をもって薫に逢うことに天のとがめを受けそうな苦痛を感じている。
薫には無理強いなところがなく、「行く末長く人の頼みぬべき心ばへなど、こよなくまさり給へり」という長所がある。それを有難く思いながらも、浮舟はふと、「うつし心もなう思ひ焦(い)らるる人を、あはれ」と思い出してしまうのだ。そうした心乱れをじっと抑えながら、浮舟はやはり薫から見捨てられた時の心細さを思い憂うるのである。
一方、薫はそうした浮舟の様子に沈静さが加わったと見て、その心の成長をよしとするのだった。そんな薫が詠んだ歌。
宇治橋のながきちぎりは朽ちせじをあやぶむかたに心さわぐな 薫
薫は浮舟に何の疑いももっていなかった。浮舟が匂宮と薫と双方の愛のはざまに立って悩ましげにしている姿をみても、浮舟の心が成長して沈静さが加わったのだと考え、「宇治橋のように長い契りは朽ちることはないのだから、不要なことばかり考えて動揺しないでくださいよ」などといって慰めたりするのだった。
一方匂宮は浮舟が宇治に一人でいると思うと不安でたまらず、折ふし雪の降り積る山越えをして、夜更けて宇治を訪問した。一夜を明かして、まだ有明月(夜が ”明”けても、まだ空に”有”る月)の程だったが、匂宮は浮舟を小舟に乗せ対岸に渡ろうとした。その途次「橘の小島」と呼ばれるあたりに舟を止め、詠みかわした歌がある。匂宮との恋はここが頂点だった。
年経(ふ)ともかわらぬものかたちばなの小島のさきに契るこころは
「浮舟」 匂宮
返し
たちばなの小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへしられぬ 浮舟
橘の常緑の葉が茂る島のすがたをながめて匂宮は、「年を経ても常緑の橘の葉色が変わらぬように、こうして契りを交わしたわたしの心は変わらないよ」と詠んだが、浮舟は、「橘の茂る小島の緑は変わらないでしょうが、ただ、この浮舟(二人が乗っている舟)のゆくえが覚つかないように、私の身はどうなるのか、その行く先もわかりませんわ」と応えている。
浮舟という名はここから取られたものだが、浮舟の立場を思えばただ実感がただようだけでなく、その運命そのものを暗示したような歌である。
6-3 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)につづく
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」