6-1 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集
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「後半 匂宮と中君の歌」のつづき
しかし、それも匂宮の知るところとなり、ある夜、匂宮は薫と思わせて浮舟の閨に忍んだ。匂宮と薫とはこうして浮舟をまぐる苦しい恋の葛藤をあじわうことになるが、浮舟もまた、一人を選びきれぬままつらいあやまちを重ねてゆく。「浮舟」の巻から三者の苦しい恋の応答をみてみよう。
まず浮舟は閨に闖入して添い臥す人が薫でないとわかった時、驚きながらもそれが匂宮だとわかった時、困惑とともに初対面の時から続いていた愛を実感して、泣きながらも安心を覚え、抗いきれず身を委ねてしまった。
「あやかしかりける身かな、誰も、ものの聞えあらば如何に思さむ」という心配はあったが、一夜を過しての感想は「大将殿(薫)をいときよげに、またかかる人あらむや、と見しかど、こまやかに匂いきよらかなることは、こよなくおはしけり」というもので、どちらともいえぬ魅力にひかれていたのだ。
ただ薫の誠意ある庇護と厚情を裏切ることは倫理的に許されることではないと考えている。とすれば、匂宮との恋ははじめから、ある破滅が予測されることだったのだ。
長き世をたのめてもなほかなしきはただ明日知らぬ命なりけり 匂宮
(あなたとの愛は永遠に変わらないと誓っても、ただ命ばかりは明日どうなるかわからないものです。でも命あるかぎりあなたと一緒にいたい)
心をばなげかざらまし命のみさだめなき世と思はましかば 浮舟
(私を思って下さるお心が変わることを考えて嘆いたりするのはやめますわ。定めなきものは命が一番と仰るのですから)
はじめて一夜をともにしただけで二人はすでに旧知のような親しさで、人生を賭けたような長い愛の約束をうたい交わしている。こうした折も折、京から使が来て匂宮の姿が見えないというので、人々が騒いでいることがわかり、急いで帰らねばならなくなった。その時の歌、
世に知らずまどふべきかなさきに立つ涙も道をかきくらしつつ 匂宮
返し
涙をもほどなき袖にせきかねていかにわかれをとどむべき身ぞ 浮舟
匂宮が「世に知らずまどふべきかな」(かつてないほどの心まどいをすることだなあ)と嘆いているのは、もちろん、浮舟との別れがつらいばかりではなく、親友として何事も相談しあってきた薫の愛人を偽装してまで奪ってしまったことへの罪の意識と、中君が遠ざけようとしていた女人との新たな関係をどう理解してもらえるかという煩悶、何より母君の明石中宮、正室の父である大臣夕霧の思わくへの配慮などさまざまなことが輻輳しての心まどいである。ために涙で眼前の景さえ見えわかぬほどだったのだ。
6-2 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)につづく
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」