「孟子」上 金谷治 P131~
人にはみな人に忍びざるの心ありと謂(い)う所以(わけ)のものは
今、人、乍(にわ)かに孺子(ちのみご)の井(いど)に入(お)ちんとするを見れば、
みな怵(おどろ)き惻隠(いた)むの心あればなり。
交りを孺子の父母に於いて内(むす)ばんとする所以(ため)に非ざるなり、
誉(ほまれ)を郷党朋友に要(もと)めんとする所以(ため)に非ざるなり、
其の声(きこえ)を悪(はばか)りて然るに非ざるなり。
今や、乳児が井戸に落ちこもうとする。そのとっさの場合を見れば、誰しも驚愕し、いたましい心、怵惻隠(じゅってきそくいん)の心にとりつかれて、思わずハッとしてその方にかけ出すであろう。それは、乳児の親と親交を結ぼうとするからでもなく、郷里の友人の間で名誉を得ようとするからでもなく、また助けなければ悪い噂がたつのを恐れたからでもない。この本能的な内からの発作を考えれば、人間の本性として忍びざるの心のあることが分かる。それが起こらないものは人でなしではないか。
(引用終わり)
性善説の孟子、性悪説の荀子としてガッコウ時代は丸暗記。
大人になって、ちゃんと読んで良かったなぁ。
孟子は短文の連続で読みやすいのだけれど、荀子は長い。一文々々が長い。
性悪説にたどり着くまでに一苦労どころか・・・。
孟子様の言葉の方が人口に膾炙するのはやむを得ぬ事なりと、云爾(しかいう)。
人にはみな人に忍びざるの心ありと謂(い)う所以(わけ)のものは
今、人、乍(にわ)かに孺子(ちのみご)の井(いど)に入(お)ちんとするを見れば、
みな怵(おどろ)き惻隠(いた)むの心あればなり。
交りを孺子の父母に於いて内(むす)ばんとする所以(ため)に非ざるなり、
誉(ほまれ)を郷党朋友に要(もと)めんとする所以(ため)に非ざるなり、
其の声(きこえ)を悪(はばか)りて然るに非ざるなり。
今や、乳児が井戸に落ちこもうとする。そのとっさの場合を見れば、誰しも驚愕し、いたましい心、怵惻隠(じゅってきそくいん)の心にとりつかれて、思わずハッとしてその方にかけ出すであろう。それは、乳児の親と親交を結ぼうとするからでもなく、郷里の友人の間で名誉を得ようとするからでもなく、また助けなければ悪い噂がたつのを恐れたからでもない。この本能的な内からの発作を考えれば、人間の本性として忍びざるの心のあることが分かる。それが起こらないものは人でなしではないか。
(引用終わり)
性善説の孟子、性悪説の荀子としてガッコウ時代は丸暗記。
大人になって、ちゃんと読んで良かったなぁ。
孟子は短文の連続で読みやすいのだけれど、荀子は長い。一文々々が長い。
性悪説にたどり着くまでに一苦労どころか・・・。
孟子様の言葉の方が人口に膾炙するのはやむを得ぬ事なりと、云爾(しかいう)。