「中庸」 金谷治訳 第一章 P143 「中庸どうでしょう?」開幕
(一)
天が、その命令として〔人間や万物のそれぞれに〕わりつけて与えたものが、それぞれの本性(もちまえ)である。
その本性(もちまえ)のあるがままに従っていく〔とそこに出来上がる〕のが、〔人として当然にふみ行なうべき〕道である。
その道を治めととのえ〔てだれにも分かりやすくし〕たのが、〔聖人の〕教えである。
未知と言うものは、〔いつでもどこにでもあるもので、〕ほんのしばらくの間も人から離れることのないものである。
離れられるようなものは、真の道ではない。
そうしたわけで、君子は〔はっきりしたことではいうまでもないが〕自分で見聞きしないはっきりしないことについても、いつも〔道のことを考えて〕わが身を慎んで緊張をつづけている。
〔ものごとは、〕隠しことや、微小なことほどかえって露見しやすいものだ。
そこで、君子は〔いつも道を思って公明正大、あいまいな隠しごとなどは避けて〕内なる己れ自身を謹慎して修めるのである。
天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。
天の命ずるをこれ性と謂(い)い、性に率(したが)うをこれ道と謂い、道を脩(修)(おさ)むるをこれ教えと謂う。
道也者、不可須阿臾離也。可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫顕乎微、故君子慎其独也。
道なる者は、須臾(しゅゆ)も離るべからざるなり。
離るべきは道に非ざるなり。
是の故に君子その睹(み)ざる所に戒慎(かいしん)し、その聞かざる所に恐懼(きょうく)す。
隠れたるより見(あらわ)るるは莫(な)く、微かなるより顕(あら)わるるは莫し、故に君子はその独(どく)を慎むなり。
(引用終わり)
「水曜どうでしょう」(大泉洋のチームナックス出演の北海道のローカル番組)が、あまりにも面白く可笑しすぎるので、不謹慎とは思いつつ語呂が良いので「中庸どうでしょう?」と命名。
実際の引用元の本は「大学・中庸」岩波文庫 青二二二-一(222-1)2007年第13刷で660円也。
今、○○ゾンで調べると、何と!842円也。
中古でも、559円也。
宇野哲人訳の「中庸」 (講談社学術文庫) に至っては、何と!何と! 950円也。
文庫の値段なの?ホントに!
消費税にも責任の一端はあるのでせうが、そうでなくてもネコマタギの漢文漢籍が、この値段では余程の物好きジジイしか手に取るまいということは想像に難くありませぬなぁ。
それでも、金谷先生の「孟子」(朝日文庫)や小林先生の「列子」(岩波)のように、絶版でないだけマシか・・・。
自慢じゃありませんが(と言いながら自慢しているかも?)私目は自宅枕元と事務所の窓際とに二冊持っています。
白文は当然読めません。書き下し文もやっとこさ。
そんなことではメゲナイほどのジジイになったので、ありがたく心地よい金谷節の訳文に浸らせていただきます。
特に後段の最後にうならされます。
隠れたるより見(あらわ)るるは莫(な)く、微かなるより顕(あら)わるるは莫し、故に君子はその独(どく)を慎むなり。
〔ものごとは、〕隠しことや、微小なことほどかえって露見しやすいものだ。
そこで、君子は〔いつも道を思って公明正大、あいまいな隠しごとなどは避けて〕内なる己れ自身を謹慎して修めるのである。
「慎独」という言葉は、「大学」第二章にも登場します。
これが、できそうでできない。
何せ、
「小人閑居して不善を為す。至らざる所なし。」(「大学」伝六章)ということばが、そのまま自分の事を言われているようで、アナオソロシヤな今日この頃です。
(一)
天が、その命令として〔人間や万物のそれぞれに〕わりつけて与えたものが、それぞれの本性(もちまえ)である。
その本性(もちまえ)のあるがままに従っていく〔とそこに出来上がる〕のが、〔人として当然にふみ行なうべき〕道である。
その道を治めととのえ〔てだれにも分かりやすくし〕たのが、〔聖人の〕教えである。
未知と言うものは、〔いつでもどこにでもあるもので、〕ほんのしばらくの間も人から離れることのないものである。
離れられるようなものは、真の道ではない。
そうしたわけで、君子は〔はっきりしたことではいうまでもないが〕自分で見聞きしないはっきりしないことについても、いつも〔道のことを考えて〕わが身を慎んで緊張をつづけている。
〔ものごとは、〕隠しことや、微小なことほどかえって露見しやすいものだ。
そこで、君子は〔いつも道を思って公明正大、あいまいな隠しごとなどは避けて〕内なる己れ自身を謹慎して修めるのである。
天命之謂性、率性之謂道、修道之謂教。
天の命ずるをこれ性と謂(い)い、性に率(したが)うをこれ道と謂い、道を脩(修)(おさ)むるをこれ教えと謂う。
道也者、不可須阿臾離也。可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫顕乎微、故君子慎其独也。
道なる者は、須臾(しゅゆ)も離るべからざるなり。
離るべきは道に非ざるなり。
是の故に君子その睹(み)ざる所に戒慎(かいしん)し、その聞かざる所に恐懼(きょうく)す。
隠れたるより見(あらわ)るるは莫(な)く、微かなるより顕(あら)わるるは莫し、故に君子はその独(どく)を慎むなり。
(引用終わり)
「水曜どうでしょう」(大泉洋のチームナックス出演の北海道のローカル番組)が、あまりにも面白く可笑しすぎるので、不謹慎とは思いつつ語呂が良いので「中庸どうでしょう?」と命名。
実際の引用元の本は「大学・中庸」岩波文庫 青二二二-一(222-1)2007年第13刷で660円也。
今、○○ゾンで調べると、何と!842円也。
中古でも、559円也。
宇野哲人訳の「中庸」 (講談社学術文庫) に至っては、何と!何と! 950円也。
文庫の値段なの?ホントに!
消費税にも責任の一端はあるのでせうが、そうでなくてもネコマタギの漢文漢籍が、この値段では余程の物好きジジイしか手に取るまいということは想像に難くありませぬなぁ。
それでも、金谷先生の「孟子」(朝日文庫)や小林先生の「列子」(岩波)のように、絶版でないだけマシか・・・。
自慢じゃありませんが(と言いながら自慢しているかも?)私目は自宅枕元と事務所の窓際とに二冊持っています。
白文は当然読めません。書き下し文もやっとこさ。
そんなことではメゲナイほどのジジイになったので、ありがたく心地よい金谷節の訳文に浸らせていただきます。
特に後段の最後にうならされます。
隠れたるより見(あらわ)るるは莫(な)く、微かなるより顕(あら)わるるは莫し、故に君子はその独(どく)を慎むなり。
〔ものごとは、〕隠しことや、微小なことほどかえって露見しやすいものだ。
そこで、君子は〔いつも道を思って公明正大、あいまいな隠しごとなどは避けて〕内なる己れ自身を謹慎して修めるのである。
「慎独」という言葉は、「大学」第二章にも登場します。
これが、できそうでできない。
何せ、
「小人閑居して不善を為す。至らざる所なし。」(「大学」伝六章)ということばが、そのまま自分の事を言われているようで、アナオソロシヤな今日この頃です。