山本夏彦の作文『人の一生』
山本夏彦著「最後の波の音」P99~
「私は小学四年生のとき『人の一生』と題する綴方を書いた。
人の一生はこんなものだ、生きるに値いしないという気持が自然に出ている(中公文庫『恋に似たもの』所収)。
思えば私の一生はこれに尽きている、外道(げどう)だといわれるゆえんもここにあると思うので再録を許してもらう。
仮名遣を改めただけで原文のままである。
人の一生 四年 山本夏彦
『おいおい泣いているうちに三つの坂を越す。
生意気なことを言っているうちに少年時代はすぎてしまう。
その頃になってあわてだすのが人間の常である。
あわててはたらいている者を笑う者も、自分たちがした事はとうに忘れている。
かれこれしているうちに二十台はすぎてしまう。
少し金でも出来るとしゃれてみたくなる。
その間をノラクラ遊んでくらす者もある。
そんな事をしているうちに子供が出来る。
子供が出来ると、少しは真面目にはたらくようになる。
こうして三十を過ぎ四十五十も過ぎてしまう。
又、その子供が同じことをする。
こうして人の一生は終ってしまうのである。』
(山本夏彦著「最後の波の音」から 引用終わり)
ここから先は、山本夏彦著「世は〆切」の解説(関川夏央)から引用。
上記の作文を評して、
「頭のいい子、頭のよすぎる子である。
考えようによってはいやな子で、角度を変えればとてもかわいそうな子である。
これを書いて夏彦少年は四十歳の教師に憎まれたという。当然と思う。
私が教師ならやはり憎むだろう。
憎まないまでも気味悪さをおさえ切れず、
同時にあらゆる意味で教育というものに不適合な子どもがこの世にはいることを思い知って茫然とするだろう。」
(引用終わり)
とてものことに十歳の少年の作文とは思えません。
何度読んでも自分の事が書かれているようで落ち着きません。
が、それでも再読してしまう。
さあ、もう師走も目の前に迫っております。
業務用プリンター2機種で悪戦苦闘していた年賀状作りも、
前から持っていた安価なインクジェットプリンターであっさり綺麗に素早く完成。
餅は餅屋?適材適所?上手い言葉が見つかりませんが、お蔭様で例年になく早期に賀状完成。
一筆入れることができるので、誠にありがたいことです。
「大学」から
苟日新、日日新、又日新。(伝二章)
苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり。
山本夏彦著「最後の波の音」P99~
「私は小学四年生のとき『人の一生』と題する綴方を書いた。
人の一生はこんなものだ、生きるに値いしないという気持が自然に出ている(中公文庫『恋に似たもの』所収)。
思えば私の一生はこれに尽きている、外道(げどう)だといわれるゆえんもここにあると思うので再録を許してもらう。
仮名遣を改めただけで原文のままである。
人の一生 四年 山本夏彦
『おいおい泣いているうちに三つの坂を越す。
生意気なことを言っているうちに少年時代はすぎてしまう。
その頃になってあわてだすのが人間の常である。
あわててはたらいている者を笑う者も、自分たちがした事はとうに忘れている。
かれこれしているうちに二十台はすぎてしまう。
少し金でも出来るとしゃれてみたくなる。
その間をノラクラ遊んでくらす者もある。
そんな事をしているうちに子供が出来る。
子供が出来ると、少しは真面目にはたらくようになる。
こうして三十を過ぎ四十五十も過ぎてしまう。
又、その子供が同じことをする。
こうして人の一生は終ってしまうのである。』
(山本夏彦著「最後の波の音」から 引用終わり)
ここから先は、山本夏彦著「世は〆切」の解説(関川夏央)から引用。
上記の作文を評して、
「頭のいい子、頭のよすぎる子である。
考えようによってはいやな子で、角度を変えればとてもかわいそうな子である。
これを書いて夏彦少年は四十歳の教師に憎まれたという。当然と思う。
私が教師ならやはり憎むだろう。
憎まないまでも気味悪さをおさえ切れず、
同時にあらゆる意味で教育というものに不適合な子どもがこの世にはいることを思い知って茫然とするだろう。」
(引用終わり)
とてものことに十歳の少年の作文とは思えません。
何度読んでも自分の事が書かれているようで落ち着きません。
が、それでも再読してしまう。
さあ、もう師走も目の前に迫っております。
業務用プリンター2機種で悪戦苦闘していた年賀状作りも、
前から持っていた安価なインクジェットプリンターであっさり綺麗に素早く完成。
餅は餅屋?適材適所?上手い言葉が見つかりませんが、お蔭様で例年になく早期に賀状完成。
一筆入れることができるので、誠にありがたいことです。
「大学」から
苟日新、日日新、又日新。(伝二章)
苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり。