日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

ベネチア映画祭「野火」公式記者会見

2014-09-07 11:59:08 | 映画・音楽
このインタビューの内容がすごく興味深かったのですが、
検索しても、全文が載っているものを見つけることができず。
FBに日本語訳で掲載してあったので、興味のある方は、是非。
(ワタシのFBは放置したままなので、ログインの仕方も忘れてしまった。全然困らないから、よし!としてます。)
https://www.facebook.com/NOBI.MOVIE

受賞できなかったのは残念(賞が欲しい、という意味ではなく、受賞すれば、よりたくさんの人に映画を観てもらえる、という可能性が広がる、という意味です。)ですが。逆にいうと、日本では話題にならない作品は、どんなに優れていようとなかなか人が足を運んでくれない、ということが現実に起こっている、と思うのです。
音楽の世界などでも、まったくそう。クラッシックバレエの世界でも、世界的なコンクールにあれだけ日本人が入賞してその時は話題にのぼるのに、そんな人材が揃っていながら日本に世界的なバレエ団が存在しないことに、なぜ日本人は不思議とおもわないのだろう?どうして、自分の審美眼や感性を信じず、宣伝費かけてるでしょ、みたいなくだらないマスコミの報道にあんなにも流されてしまうのだろう?と。

ごはんを食べてる食卓にあるTVが、他国の悲惨な戦場を映し出している時代です。ワタシたちの感覚は「痛み」にとても鈍感になっていると思います。特に他者に対しての。
3・11から3年、4年が過ぎて、各地で豪雨被害が起こり、(その時こころに感じるものはあっても)、それでも人間はどんどん痛みに鈍感になっていく。
映画監督たちは、危機感を感じているのだと思います。オブラートにくるんだ表現ではなく、容赦ない現実を観客の前に差し出すことによって感性を揺り動かそうという荒行に出ているのではないかと。それは決して理屈から生まれたものではなく、表現者としての本能的ともいえる嗅覚で。もちろん、観客の拒絶感すら織り込み済みの?

野火は、正直観たくないです。でも、塚本監督の人間性が、ワタシを映画館にむかわせるのだろうな、と。
考えるな、感じろ。。。と言ったのは、ブルース・リー?あれ?全然違う?でも、感じることが本当に大切な時代になったことは確か、ですよね?