北の窓から(芦田っち)

PC関連と私的雑感のブログ。
2015年7月10日、カッコ内に名前を加えました。昔の友だちに気付いてほしくて・・・

反対意見は人格の否定ではない:和して同ぜず

2014-06-02 18:39:41 | 北窓舎
とかく日本人は、と一般論をいうつもりではありませんが・・・

経験してきた中で少なからぬ人たちに見られる傾向があります。

議論・意見交換の場で異論・反論を述べると、
それを人格が否定されたように受け止める人がいます。

反対意見は、相手が述べた内容に対するものであり、
相手自身・その人格を否定するものではありません。

にもかかわらず、人格が否定されたようにとらえて、感情的になり、
せっかくの意見交換の場がネット上のフレームさながらになることがあります。

そうなると気持ちの上でシコリが残り、
議論・意見交換が終わってもアイツは嫌いだなどと思うことになります。
思われた人はとんだ災難です

こんなことが重なると、
特に若い頃にそんな場を多く経験すると、
反対意見を述べることをためらうようになりがちです。

異を唱えることを避ける、
自分の思うところを押し殺して相手の意見に合わせる・・・
そうなると合わせた側でもシコリが残ります。
どうもアイツとは合わない、なんて思うことになります。

つまり、同じて和せず、です。
和して同ぜずの世界から離れていきます。

KY(空気、読めない)が悪であるように言われる世界では、
付和雷同とは言いませんが、
表面的な仲良しグループの寄せ集めの様相を呈してきます。

反論する側もされる側も、攻守は入れ替わるのですから、
大人になれない大人たちの一人とならないためにも、
反論は人格の否定ではないと心得たい。

議論のしかた・討議のしかたを学校では教えていないのでしょうか。
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3 コメント

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討論・議論 (タフマン)
2014-06-02 19:04:35
アメリカでは小さい頃から(小学校位から?)、討論、議論を
することを教えるようですね。

ディベートが出来るので、議論が終わればハイ終わり。
感情的なシコリは残りにくい気がします。

討論・議論のしかた、正しい日本語は小さい頃から
教えるべきですね。

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お礼など (オヤヂ)
2014-06-03 07:01:51
「タフマン」さん、コメント、ありがとうございます。
日本では難しいとの声も聞きます。難しいわけでも出来ないわけでもないのでは?と思いますが、どうなんでしょうね。
返信する
Unknown (タフマン)
2014-06-04 21:11:17
僕も、難しいわけでも出来ないわけでもない、と思います。

きっと、現場にそれを行う余裕がないのだと思います。
返信する

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