北の窓から(芦田っち)

PC関連と私的雑感のブログ。
2015年7月10日、カッコ内に名前を加えました。昔の友だちに気付いてほしくて・・・

入口・出口、幾つのKがあれば満足するのだろう

2014-06-03 06:53:31 | 北窓舎
3Kという言葉がある。
労働の3Kなら「きつい」「汚い」「危険」の3Kだ。

# 3は含蓄が深い、組み合わせの妙が問われる数字。

  神聖な分野では三位一体、
  和では三種の神器、
  仏式なら三衣(さんえ、さんね)、
  学校では三者面談、
  女性なら三界(に家なし・・・今はそんなことはない)、
  じゃんけん構造の三すくみ(ヘビ、カエル、ナメクジ)、
  いろんな世界に出没する三羽烏・・・

昨今は4Kとか8Kの字が目にとまる。
オヤヂ的関心はいうまでもなく解像度・画素数のKである。

3年前(2011年)アナログTV放送が終了した。
地デジ対応受像機の買い替え需要が高まり、
ハイビジョンの語が飛び交った。

解像度1920x1080のTV画面はキレイだと思う。

走査線525本、インターレース時代の映像が流される。
吉右衛門の鬼平犯科帳を観る。
ハイビジョン時代に撮られていたらなぁ、と思う。
よい内容にはよい画質がふさわしい。

さて4K、8K。

アスペクト比16:9のTV放送では
1920(x 1080)が約2Kなので、
それの倍 3840×2160で4K、
さらに倍 7680×4320なら8K。

4Kも8Kも実物は見たことがない。

画面わずか7インチのNexus 7(2013)。
解像度は1920x1200、実にキレイだ。
4K・TVはさぞやキレイだろうなと想像する。

# はるかに大きな画面サイズのTVでは密度は大幅に下がるが、
  映像(動く絵)なので気にならないだろう。

再び、さて4K、8K。

キレイな絵は撮影・放送時と受像時の掛け算。

どんなに高精細なTVでも、撮影画質が低ければ/放送時の画質が低ければキレイには映せない。
(補間技術でアップグレードするケースは除く)
どんなに高画質で撮影・放送されても、受像機の解像度が低ければダメ。

入口・出口、双方が高画質・高解像度でなければならない。

# ここでもリービッヒの最小律が成立する。

が、4K・8Kにしようとすれば、カメラも放送設備も高価になる。
お金持ちのNHKには苦にならないかも知れないが、民放では苦しいはず。
もちろんTVを買う家庭も楽ではない。

とはいえ4K・TVは出回っているので、
4Kについては入口・出口がそろっていることになる。

来る2020年東京オリンピックが8Kの普及に拍車をかけるのだろうか。
広告などを見てもメーカーはチャンス到来・虎視眈眈と狙っているようだ。
すべからく経済・商売だ。

# 日本でのオリンピック開催に賛成できなかった。
  3.11がその思いをさらに強くした。
  が、決まってしまった。

キレイな画面を見ると欲しくなるだろう。
開催に反対であってもオリンピックは美しい映像で観たいと思う。

幾つのKがあれば私たちは満足するのだろう。
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