「家に帰れば積水ハウス」・・・聞くたびに違和感を覚えます。
「家に帰れば妻」とか「家に帰ればビール」とか「家に帰れば風呂」だと少しも変だとは思いません。
愛する妻が待っているとか、ビールを飲もうとか、風呂に入ろうなどと、
次に続く言葉が想像できるからです。
あのCMに関する限り「積水ハウス」は「家」そのものでしょう?
「カレー」のハウスとか「会社」としての積水ハウスとはだれも思わないでしょう。
なので「積水ハウス」は「家」そのもの。
で、「積水ハウス」を「家」に置き換えてみると「家に帰れば家」。
これじゃ何がなんだか分かりませんよね。
オヤヂの脳内では「積水ハウス」を「家」に置き換えているのでしょうか・・・
理由はよく分からないのですが、何度聞いても慣れません。
聞くたびに違和感・・・です。
オヤヂだけなのでしょうか?
あなたは違和感、ありませんか?
「家に帰れば妻」とか「家に帰ればビール」とか「家に帰れば風呂」だと少しも変だとは思いません。
愛する妻が待っているとか、ビールを飲もうとか、風呂に入ろうなどと、
次に続く言葉が想像できるからです。
あのCMに関する限り「積水ハウス」は「家」そのものでしょう?
「カレー」のハウスとか「会社」としての積水ハウスとはだれも思わないでしょう。
なので「積水ハウス」は「家」そのもの。
で、「積水ハウス」を「家」に置き換えてみると「家に帰れば家」。
これじゃ何がなんだか分かりませんよね。
オヤヂの脳内では「積水ハウス」を「家」に置き換えているのでしょうか・・・
理由はよく分からないのですが、何度聞いても慣れません。
聞くたびに違和感・・・です。
オヤヂだけなのでしょうか?
あなたは違和感、ありませんか?
あれをいい歌などと言うコメントもあって、全く理解できません。
日本語わかる人なら違和感感じて当然だと思います。
他の方は全く違和感を感じいないようで、共感を得られずしょぼ~ん(´・ω・`)・・・としていたところでした。
なので、同じご意見の方がいて嬉しいです。
最近は八代亜紀さんが歌っているバージョンもありますね。
とても心地よいのですが・・・最後でやっぱり「あれ?」となりますσ(^^;
違和感のある人/ない人・・・日本語への感覚(感受性?)は人さまざまですね。
なら、許容範囲ですが、、、
CMの度に私はチャンネルを変えます。
言葉の気持ち悪さに胸騒ぎがして、平静ではいられません。もちろん、セキスイというかいしゃじた
途中で切れていましたが、おそらく「セキスイという会社自体に文句があるわけではありません」のように続いていたはずですよね?
チャンネルを変えることまではしませんが、気持ちが悪いのはご同様。
検索すれば、作詞者は羽柴氏・一倉氏、お二人のようです。さらに検索すれば、一倉氏はオヤヂより一つ年上、コピーライター/クリエイティブディレクターをなさっている(いた?)お方らしい。
日本語文化の破壊者っていうと言い過ぎですけれど・・・
いい歌というより、八代さんの歌唱力に痺れました。
八代さんというと、どうもトラックの運ちゃんが聴いている演歌のイメージ
だったのですが、ジャズ調で、こんなにもいい歌声だったのだと、
驚いて検索したところ、このサイトがヒットしました。
本件の歌詞についてですが、私としては日本語というより、歌詞、キャッチフレーズ
として捉えておりましたので、なんら違和感は覚えませんでした。
逆に、とても鋭いキャッチフレーズに思いました。
「家に帰れば、積水ハウス。」
家って、サラリーマンにとって、だいたいは一生に一度の買い物でですよね。
人それぞれの価値観で、家にお金を掛ける人、掛けない人がいると思います。
ハウスメーカーの家って、パッと見、判りませんか?
ハウスメーカーの家って、戸建だと高価な部類だと思うので、サラリーマンにとって、
ブランド、ステータスであったり、自身の成果とか、自己満足であったりすると思うのです。
仕事に疲れ切って家に辿り着いた時、いろいろな思いのある家を目の前にして
何だか感慨深い心情をもったサラリーマン。
そんな情景を適格に表現したキャッチだなととても印象に残りました。
私の場合ですが。
思い入れの強い我が家。苦心して手に入れた我が家。
それがセキスイハウスってことですね。
なるほどと納得いたしました。違和感が解消されました。
::::
なるほど。「家に帰れば家」ですか。
たとえば、会社勤めの人を想定しているとして、
「会社の建物やその周辺の建物は<積水ハウス>ではなく落ち着かないが、『我が家』はすばらしく居心地のよい<積水ハウス>の建物ですよ」
というニュアンスで‘家に帰れば積水ハウス♪’と謳っているのである、と思えば、そんなに違和感はないかも…
どこまで想像力を働かせるかで感じ方が変わってくるように思います。
「家に帰れば」を、「帰るわが家は」とか「憩うわが家は」などに置き換えれば何の違和感もないのに・・・思ったりしていました。
ですが、別の方からのコメントで、一生の買い物である家への思い入れ・感慨などを教えられ、今はかなり違和感が解消しています。
言葉というものはなかなか面白いものですね。