林芙美子がパリに到着したのが1931(昭和06)年28歳の時
昨日、パリ生活の一端を書いたが、今日は彼女の恋愛を追ってみる
これまた簡単には終わらないと思うので、とりあえず#1とした
殆ど私が知らない名の男ばかり まず一番手は外山五郎(とやまごろう)
彼は4歳年下のアナキスト画家、学校を出て1931(昭和6)年にパリへ遊学
親しくしていた洋画家の別府貫一郎らも一緒だった
外山と芙美子は、学生時代、ロシア語講習会で知り合っていた
因みに芙美子が好きになる男のタイプは
芸儒家や知識人、育ちがよく貴公子風、美男、年下・・・だそうな
すべてが外山に当てはまっていた 加えて外山は人に冷たくぶっきら棒,
女を寄せつけない雰囲気が なぜか芙美子の気に 入ったらしい
芙美子は別府と共にパリ郊外に住む外山を訪れた、と彼女は日記に書いている
実は、芙美子に会いたくなくて外山はそこへ引越した 理由は分からない
別府は、居所を明かすなと頼まれていたが、芙美子の懇願に負けたらしい
外山は執拗な芙美子に腹を立て、ストーブの上のヤカンを投げつける
芙美子は足に火傷をしたが、当日の日記には「不快な事があった」とだけ記す
これ以来、さすがに芙美子の外山への熱も冷めた
奇人・変人?の外山の情報は殆ど無いのでこのくらいにする
ここでちょっと一息
北九州文学館というサイトがあり、年2回「文学の栞」発行している
林芙美子企画展のPDFがあったのでG-diveにアップした(2頁目以降)
なお、ここの館長今井英子氏は、林芙美子の研究者としても名が知られている
さて、次の登場は、パリ到着以来、何かと世話になっている別府貫一郎
芙美子は、滞在ホテルも一人で探した書きぶりだが、実は別府らが手配した
名前を出さないのは、孤独な一人旅を演出したかった・・・とは平林たいこ説
夫の手塚緑敏に彼らの名を知られたくなかった説もあるらしい
とはいえ、外山も別府も緑敏の画家仲間、彼らがパリに遊学中と知っている
男と女、少しは何かがあっても・・・緑敏がそう思ったかは知らないが
芙美子も、寝ても覚めても貫一郎さん・・・状態にはならなかったようだ
別府は、1967(昭和42)年に石垣綾子(評論家・社会運動家)と結婚している
別府貫一郎の絵 ナポリ風景
今日はここまで
最後 晩年の芙美子のラジオ番組録音がNHKアーカイブスにあったので紹介
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]