遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

こんな人がいた~『俳人・金子兜太その8 兜太の母「はる」の句など』

2024年01月05日 | 読書

金子兜太と母「はる」


金子兜太の母「はる」は 兜太を医者にして 夫・元春の跡を継がせたかった
元春は開業医だが 同時に伊昔紅の号をもつ俳人だった
俳人は「人に非ず」と書く はるはそう言って兜太に俳人となることを戒めた

<夏の山国母いて我を与太という> 兜太 
'与太'は 俳人の道に進まないで という母の願いの言葉だったのだろう
その願い空しく 兜太は俳句の道に進んだが・・・

ところが その母はるも やがて俳句を詠むことになる
夫の伊昔紅が催す句会に関わっているうち 門前の経・・・というワケか

<また一つ京の土産やはもの味> はる 
<長旅によごれし足袋や白あやめ> はる
<元朝に生れ来て夫や米寿たり> はる 

 はるが俳句を始めたのは69歳の頃だった 70の手習い 凄い!
 因みに伊昔紅は一回り年長の同じ丑年 句の通り元日生まれ

<老夫婦団扇ひとつを隔て寝る> 伊昔紅
<筍を煮るさへ妻のかくし味> 伊昔紅
<犬ふぐりおばば年金貯めてをり> 伊昔紅

<石蕗咲けど夫の座空し香捧ぐ> はる  
<一人居の玻璃戸に寄れば夜の蟬 > はる
<鰯雲夫の墓まで腰曲げて> はる 

 母・はるは長寿を全う 102歳まで俳句を作り続け 104歳で他界した
 兜太85歳の2004(H16)年のことだった  

<母逝きて与太な倅の鼻光る> 兜太
<母よりのわが感性の柚子熟るる> 兜太 

今日の最後は秩父の動画を観てもらってお別れ


それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

最新の画像もっと見る

コメントを投稿