金子兜太と母「はる」
金子兜太の母「はる」は 兜太を医者にして 夫・元春の跡を継がせたかった
元春は開業医だが 同時に伊昔紅の号をもつ俳人だった
俳人は「人に非ず」と書く はるはそう言って兜太に俳人となることを戒めた
<夏の山国母いて我を与太という> 兜太
'与太'は 俳人の道に進まないで という母の願いの言葉だったのだろう
その願い空しく 兜太は俳句の道に進んだが・・・
ところが その母はるも やがて俳句を詠むことになる
夫の伊昔紅が催す句会に関わっているうち 門前の経・・・というワケか
<また一つ京の土産やはもの味> はる
<長旅によごれし足袋や白あやめ> はる
<元朝に生れ来て夫や米寿たり> はる
はるが俳句を始めたのは69歳の頃だった 70の手習い 凄い!
因みに伊昔紅は一回り年長の同じ丑年 句の通り元日生まれ
<老夫婦団扇ひとつを隔て寝る> 伊昔紅
<筍を煮るさへ妻のかくし味> 伊昔紅
<犬ふぐりおばば年金貯めてをり> 伊昔紅
<石蕗咲けど夫の座空し香捧ぐ> はる
<一人居の玻璃戸に寄れば夜の蟬 > はる
<鰯雲夫の墓まで腰曲げて> はる
母・はるは長寿を全う 102歳まで俳句を作り続け 104歳で他界した
兜太85歳の2004(H16)年のことだった
<母逝きて与太な倅の鼻光る> 兜太
<母よりのわが感性の柚子熟るる> 兜太
今日の最後は秩父の動画を観てもらってお別れ
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]