白梅や老子無心の旅に住む・・・作者は本文参照
今日から再び金子兜太の人生の旅を辿る
1960(S35)年 41歳
福島・神戸・長崎・・・旅役者よろしく支店回りを終えて兜太は本店に戻る
栄達の道はすでに遠く 仕事は日に多くて3度の地下金庫の開け閉め
「俳句を仕事にして銀行から給料を貰う」・・・蔭口は無視 権威には抵抗
ところが友人も俳句ファンも多い 悪意の無い闊達な人柄のせいか
1967(S42)年 48歳
熊谷市に転居し ここを終の棲家と定める
定住して始めて "漂白・放浪” を深く考え始める
この頃 山頭火・放哉・一茶・・・漂泊・放浪に生きた俳人研究にどっぷり
何が彼を"漂白・放浪”に誘うのか・・・生まれながらの血だろうか
そう思ったのは 兜太18歳の時 初めて詠んだ俳句が
<白梅や老子無心の旅に住む> こりゃ 老成しているぞ!
老子の言葉で 私の記憶に残るのは”無為自然”
これを兜太の言葉で言い表すなら "在るがまま"ということではないか
もう一つ思いついたのが'60~70年代に流行ったポスト・モダン思想
その頃 ノマド(遊牧民・・・転じて放浪民)という生き方が流行った
その源流はニーチェで キーワードは脱コード化
コードは決まり事・約束事 プログラミングをコード化と呼ぶそのコード
大雑把に言うと 社会は法律・契約・制度の3つのコードで動く
それらは集団維持に必要だが 人間の生まれながらの感覚を覆い隠す
だから脱コード化し 生まれながらの世界と接する必要がある
・・・これって兜太が言う「生きもの感覚」ってことじゃないか?
ついでに書くと 感覚はどこで感じる? 脳の中?
だとしても その脳はカラダの一部なんだけれども・・・
言葉のワナに嵌ってはいけない・・・これもニーチェの教訓の一つ
ノマドの話はどうなった? 忘れていた
かなり強引だが 不定住(家ごと移動)・働く・遊ぶ・・・という人生もいいかも
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今日はこれでお終い 明日またお会いしましょう
[Rosey]