二月は、忙しい?
昨日の祖母に次いで?
今日は、父の命日です。
2012年に逝き、今年で6年経ちます。
母が逝ったのが、その後2年後。
この歳で、父母を亡くしているとは、思ってもいませんでした。
父は、楽しい人でした。
父は、神経質でした。
父は、時に子どものようでした。
父は、優しい人でした。
結婚を控えて、私は、マリッジブルーを超えて、
毎日、ワーワー、オイオイと 泣いていました。
実家での暮らしを終えるのが、とにかく寂しく。
あまり泣き続ける私に、
母が、「 〇〇〇 ( 夫の名 ) が、心配しはるよ。」と。
そして、父は、困惑した様子。
で、こう言ってくれたのです。
「 いつでも、帰ってきたらいい。
でも、〇〇〇 ( 私の名 ) 一人ではアカン。
帰ってくる時は、〇〇〇君 ( 夫の名 ) と二人でやからな。」
父らしい言葉 想いでした。
父の最期も 優しさを残してくれました。
母、末期がん、余命宣告された状態で、
夫の大いなる理解、協力の中、
我が家での在宅治療を選びました。
当然 父も一緒に暮らすことを 考えていましたが、
父の主治医から ドクターストップが。
すでに、認知症を患っていた父。
「 ( 父が転居しての同居は、)あなたの家族の暮らしが、つぶれてしまう。」とドクター。
父は施設で暮らすこととなりました。
そして、人工透析が必要になり、入院生活へと。
私は、父、母 のことで、
分刻みで、飛び交う日も少なくはありませんでした。
母が安心して逝くことが出来るように、
父の終の住みかを、も大きな問題でした。
そんな中、父の容態が急変。
母が、3日 病院で 付き添うことが出来た中、
家族に見守られて、父は逝きました。
泣き続ける私に、
ケアーマネージャーをなさっている 以前の職場の大先輩が こう言って下さいました。
「 お父さんは、〇〇〇 ( 私の名 )一人で、
二人( 父と母 )を看るのは、
無理やよ、って、逝かれたのよ。
結果、優しい家族だったって、ことやよ。 」
この言葉が、今の私を支えてもくれています。
お父さん。
こうしてね。
思い出して、お父さんのこと書いていたらね。
涙 溢れてきたよ。
今は、大好きなお母さんと一緒に、
たくさんの犬たちに囲まれているんやね。
後 何年かしたら、私も逝くから、
また会えるもんね。
お父さん、たくさん ありがとうね。大好きやよ。