双極性障害と歩む

主婦として、母として、の毎日を、つづっています。

優しさの中で。父の命日。

2018-02-19 10:17:01 | 双極性障害とともに。

 二月は、忙しい?


 昨日の祖母に次いで?



 今日は、父の命日です。



 2012年に逝き、今年で6年経ちます。


 母が逝ったのが、その後2年後。



 この歳で、父母を亡くしているとは、思ってもいませんでした。



 父は、楽しい人でした。


 父は、神経質でした。


 父は、時に子どものようでした。


 父は、優しい人でした。




結婚を控えて、私は、マリッジブルーを超えて、


 毎日、ワーワー、オイオイと 泣いていました。



 実家での暮らしを終えるのが、とにかく寂しく。



 あまり泣き続ける私に、


 母が、「 〇〇〇 ( 夫の名 ) が、心配しはるよ。」と。



 そして、父は、困惑した様子。


 で、こう言ってくれたのです。



 「 いつでも、帰ってきたらいい。


  でも、〇〇〇 ( 私の名 ) 一人ではアカン。


  帰ってくる時は、〇〇〇君 ( 夫の名 ) と二人でやからな。」


  父らしい言葉 想いでした。

  


 
 父の最期も 優しさを残してくれました。




 母、末期がん、余命宣告された状態で、


 夫の大いなる理解、協力の中、


 我が家での在宅治療を選びました。




 当然 父も一緒に暮らすことを 考えていましたが、


 父の主治医から ドクターストップが。


 すでに、認知症を患っていた父。



 「 ( 父が転居しての同居は、)あなたの家族の暮らしが、つぶれてしまう。」とドクター。



 父は施設で暮らすこととなりました。



 そして、人工透析が必要になり、入院生活へと。
 

 

 私は、父、母 のことで、


 分刻みで、飛び交う日も少なくはありませんでした。



 母が安心して逝くことが出来るように、


 父の終の住みかを、も大きな問題でした。




 そんな中、父の容態が急変。


 母が、3日 病院で 付き添うことが出来た中、

 
 家族に見守られて、父は逝きました。




 泣き続ける私に、


 ケアーマネージャーをなさっている 以前の職場の大先輩が こう言って下さいました。



 「 お父さんは、〇〇〇 ( 私の名 )一人で、


二人( 父と母 )を看るのは、


   無理やよ、って、逝かれたのよ。


   結果、優しい家族だったって、ことやよ。 」



 この言葉が、今の私を支えてもくれています。





 お父さん。


 こうしてね。


 思い出して、お父さんのこと書いていたらね。


 涙 溢れてきたよ。



 今は、大好きなお母さんと一緒に、


 たくさんの犬たちに囲まれているんやね。


 
 後 何年かしたら、私も逝くから、


 また会えるもんね。


 
 お父さん、たくさん ありがとうね。大好きやよ。