昨日、NHKで特集されていた
< 産後うつ >
< 10人に 1人 > だったものが、
このコロナの中で
< 4人に 1人 > に なっていると。
私も、入院まで要した
ひどい < 産後うつ > だった。
結婚をしたなら、
当たり前のように妊娠、出産する と思っていたのに、
その兆候は、
待てども待てども 来ず。
何年か要して、
ある婦人科のドクターに出会い、
< 子宮内膜症 > と診断され、
「命の方が 大事でしょ」
ポリープが悪性ではないか?
の不安のもと 手術。
おかげ様で、悪性でなし。
もういいわ。
出産を望むのは 止めよう。
夫に、「もう一度、大学で 学びたいんやけど。」
と言った、
まさに その翌日に 妊娠判明??
が、喜ばしいどころか、
< 切迫流産 > とのことで、
夜中に 緊急入院。
「( 赤ちゃんが だめでも)
お母さんのせいでは ありませんからね。」と
看護婦さんに 繰り返し言われる。
それは、絶大なる不安の日々を過ごすと、
あらまぁ、
検診ごとに
「胎児の成長、順調ですね。」が 続く、
happy、happy マタニティ生活。
が、いざ、出産。
産まれない。
< 陣痛誘発剤 > を 点滴しても、
陣痛は 来ず。
で、結果
緊急での< 帝王切開 > のオペにて出産。
3625gの大きな赤ちゃん。
「下から産まないで(普通分娩でなくて)
よかった。」との ドクターの言葉。
が、母親教室でも、
妊娠に関する本でも、
< 普通分娩 > の 産後の回復に関して教わっても、
< 帝王切開 > 後の回復の仕方は、
全く教わっていず、
私の知識もなし。
手術翌日、傷が半端なく痛む私に、
看護婦さんが娘を連れてきて、
「おっぱいの時間ですよ。」と
娘を私の横に寝かして
二人きりに。
そんなん 無理。
( 今 振り返れば、
この処遇が 間違いそのものだった。)
でも、お母さんのスイッチはオン!
痛み止めの座薬を入れてもらいながら、
必死に 娘におっぱいを。
が、そんな身体では、
母乳は 出ず。
< 普通分娩 > の お若~いお母さんたちが
「母乳、余るんですけど・・。」と
言ってられるのを聞いては、
わけわからなくなり、
どんどん調子を崩していき・・・。
< 産後うつ > へと。
まさに、
アップダウンの繰り返し。
調子を崩してからのことは
ほぼ覚えていないのだが、
クリニックに行き、
点滴をうってもらう際に、
「これをうったら、
母乳をあげることは 出来ませんからね。」
と 言われたことは
鮮明に 覚えている。
帰ってから、
おっぱいが欲しくて泣く娘。
私が抱っこをしたなら、
おっぱいが もらえると思う。
が、あげられない。
なので、母に抱いてもらっていたように思う。
以後も
いろいろあり、
入院。
で、なんとか回復??
勿論、この間、
夫が仕事をやりくりして、
娘を 育ててくれた。
夫の力なしでは、育っていない。
余談かな。
回復後は、
知人が作った
< 産後うつ > のお母さんたちのサイトで、
それはたくさんの相談に
コメントを し続けていた。
この活力が、
回復の下支えに
確実に なっていた。
そんなこんなの
私の < 産後うつ > の 経過。
その後も、
ひどい鬱状態を繰り返す。
今の主治医に出会うことが出来、
< 双極性障害 > との診断、治療が始まる。
このブログにも出会うことができ、
そして、今に 至る。
< 4人に 1人 > の お母さん。
苦しいやろうな。
息 出来てるかな。
私、側に寄り添い、
背中を さすってあげたい。
本当に そう思う。
「がんばって。」ではなく、
「がんばったよね。」って。
さぁ、今日も スタートです。
朝から、( といっても、早くはないが )
娘が夫に
それはいろいろと 話している。
まぁ??
内容は、卒業が イヤということ。
あの < おっぱい星人 > やった赤ちゃんが、
しっかりと 育ってくれている。
日本史の勉強ね。
「 ねぇ、バブルって 昭和?」
ふーん、なるほど。
頑張って下さい。