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この話題は、辛いという方は、ご無理のないように、という思いから、タイトルに入れさせていただきましたm(_ _)m
なかなか、自分自身が、津波のために自宅毎流されて、身体の不自由だった親戚を亡くしたことは大きくて。また、小学生時代を過ごした三陸沿岸の市や町が全て、津波で甚大な被害があり、かつてのご近所の方々や、同級生の安否も知るのが恐い私は、今回、女川へ行ってはきましたが、あえて、撮ってきた写真の中でも、こちらへは、段ボール製のダンボルギーニ(駅前商店街)と、高台の昼食場所からの景色、そして、お刺身御膳を。
11日は、私と同期だった方が、視察の様子をまとめて、掲示してくれていたよ、と、お友達が知らせてくれた当日には行けなくて、この日、見に行ったら、なんと、偶然、そのお友達に ばったり会えて ビックリ。
しかも、今回、またしても、一緒にいた次女が気づき、○○さんに似ている人があそこにいるよ、と。
目をやると~ 似ている、じゃなくて、まさかの、ご本人だよ~でした。
夫を送別会の会場に迎えに行くため、ほんのちょっとしかお話もできず、かなり、心残りでしたが、会えただけでも、ほんとうに テンションが上がりました。
……震災の話題は、こちらから話し出したい話題でもないけれど、せっかく声をかけていただいて、参加した以上は、私もやはり、聴いてくださる方がいるのなら、という思いはあれど。
自分の中に垣根があるものだから、難しいな、と思っていたら、なんと、行ってきた翌日に、オォッ! という出来事があり、お友達にメールをし、それがきっかけになって、お会いした時にお話ができて、有難かったです。
お友達は、今回、入居する前に、公営住宅のお部屋を見せてくれました。
お引っ越しは、エネルギーをつかうものです…。
私は子供時代、親の仕事の関係で、引っ越しが多かったけれど、成人してからは、1回のみ。
疲れが結構長引いたのを覚えています。
入居されたら、後は全て安心、というものでもないこと、お話を聴いて、もっともなこと、だと思いましたし、心身、お疲れをためませんように、と、願っています。
ニュースや、新聞を読むと、公営住宅も、数そのものがまだ不足している、ということだけでなく、立地条件が、車の運転も難しくなってゆく高齢者の方には 通院や買い物には不便な場所で、交通費も、負担が大きくなりそうな場所だと、どうなのかなぁ、と心配です。
せっかく便利な場所の公営住宅に入れても、高層マンションが後から建つことになり、日が当たらなくなったり。そうなると、光熱費の負担増、そして健康が心配です。
そもそも、自分達の生活も圧迫感があるなかで、なかなか仮設住宅を出てからの生活に希望をもてないでいる方々もいらっしゃるでしょうし…。
ほんとうに、情けなくなるくらいに、なにもできないことばかりです。
ボランティア活動も、自己満足の域を出ないのでは?との自問自答が苦しくて、辞めたいというのが本音。
それでも、仕事の一環として関わる間はまだしも、でしたが、これからも継続を決めたことで、改めて考えたのは、集まってくださる方にとっては、参加する動機があり、ボランティア活動をする方々にも、動機があるのだろう、ということ。
人の価値観は、様々なんだなぁ、と ほんとうに思います。
私だったら…、というのは、私だけの価値観なんですよね。
人と関わる、ということは、その人の数だけ、価値観に関わる、ということなのですから、配慮が必要とされるのが当たり前なんだ、と、思っていますが。これを面倒くさがるのかどうかも、価値観ですね。
私は自分自身が一番面倒くさい人間なので、他人様とのお付き合いの方がいいですね。
なにより、自分自身と付き合うための、ヒントが貰えます。
もちろん、避けたい人間関係は、ありますし、できることなら、楽しい人間関係だけで、暮らせたなら幸せですけれども。
一人でいる、ということと、孤独であるということは、違いますよね。
かつての自分のように、人との関わりを諦めてしまって、孤独を、選んでしまわないように、今年は、知人の障害についての学びを深めようと思っていますが。
自分自身にも多くを求めることなく、ほんわりした笑顔を忘れずに。
亡くなってしまった方々のいるところへ、私が行く その日に、一日ずつ近づいているのですから、感謝して過ごせるよう努力ができる自分でいたいなぁ、と思っています。
11日の夜は、お酒が好きだった親戚を思いながら、私も久々に、日本酒を飲みました…。