My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

ポケベル・トランシーバー爆発、以後いろいろ考える事あり。

2024年09月26日 | 観たこと聴いたこと

この「ポケベル、トランシーバーの爆発」はヒズボラに対する狭い意味でのテロ行為とするのは間違っていて、国が関与した戦闘行為だという知人の話に、なるほどなあ、、、と思いそれに派生的な想いを書こうかなと思っている内に仕事の切れ間がなくて、なんだか話題はどんどん古くなった気がするけれど、、、

と思っていたら、youtubeで先ほど袴田さんの再審判決のライブ放送を観た。

袴田事件に関して私は詳しい知識は無く、しかし、定期的にニュースになっていて、正直「まだ結論が出ていないんだなあ」とぼんやり思っていた。今私はそれを申し訳なく思う。自分の日々のあくせくに余裕のかけらもなく、遠いところでおこっていることとしか思われなかった事を。自分が子どもだった頃のその事件が起こり、

それ以来の私は「普通に」生活して進学し卒業し、紆余曲折もあり、結婚し子どもを育て、我が子が大学を卒業し就職し結婚し(してない子も1名)その子に子どもが生まれ幼稚園に行きそのこの下に第二子が生まれ、、←イマココ

で言う、別に対して聴きたくもない面白くもない他人の、私の話超速で延々と話したのは、その間袴田巌さんは、すっとえん罪に苦しめられ、多くの時間を刑務所の中で過ごさねばならなかった事実を、改めて今日の会見でその重さを感じたからだ。

私のする取るに足らないとおぼしき、皆さんには退屈な、かいつまんだ話が「ふつうにある取るに足らない当然のこと」ではないと言うことだ。飛躍すると思うかもしれないが、袴田さんは私であったかもしれず。性別に無理があろうがなかろうがすなわち私=袴田さんであったかもしれない、と思う。確率は0%ではない。どこかがズレたら、傍観するものから当事者へ。だからとて、その立場にならなくてよかったねと安堵する気持なんか無い。無いよ。

ここまで書いて、実はこんなこと延々と書くつもりはなく、

袴田さんのお姉様がすごい。と思った。それしかない。会見の質問に応答するいちいちが肝が据わっていて、質問者が薄っぺらく見えた。58年戦ってきたかたなんだ。

何の知識もない私は、お姉様のたたずまいに、そこに人間を観た。人間の尊厳を観ました。

(ヒズボラ問題がもう飛んでしまった軽薄な自分だ)ああなんだか自分が薄っぺらい。

 

 


あの棚の上に。玉音放送②

2024年09月06日 | 観たこと聴いたこと
今年、昨年に比べて多いように感じるのは、太平洋戦争の再検討的記事や地上波&BS放送、YouTube放送の番組の題材。
気のせいかなとも思う。
自分がそこに注目したからそう思えるのかなとも思う。その一つ一つを読んだり視聴する時間がないから、結局見出し的認識に過ぎないのはわかっているのだけど。
ただ、我が国が戦争に至った経緯を客観的に見ることが難しかった学生時代、その私達の世代に、ずいぶんときを経てからの現代に、アメリカ国防省の分析がなかなか興味深い。
特に真珠湾攻撃の再検証などは興味をひく。
真珠湾に関して、実に卑怯な作戦だったと教え込まれるか、何でもかんでもあの時代は仕方なかったんだ、と言う自己弁護的な日本の大人の言葉に違和感を覚えて育ってしまった。
縁あってハワイに滞在したとき、真珠湾を見学し、気持ちがどよーんとしたことは覚えている。
いまは、それほど偏りのある気持ちはない。
ああ、だけど、勝つか負けるかしかなくて終戦を迎えたのだなあと、8月15日になるたびに思っていた。無条件降伏だと思っていたけれど、実は条件付き降伏だったとか色々わからないことが多い。何にもわからないでいたし、これから自分に何ほどのことが理解できるのかもあやしいお年頃となっている。

とかなんとか、思い巡らした。
そんな時何度も思い出すのは、私の友人の母の体験だ。
友人みよちゃんのお母さんは、終戦当時防衛省に勤めていて、そこの事務室の一室の棚の上に、ダンボールに入れた玉音の録音が保管されたと言う。内容をどれだけ知らされたのかはわからないが、「来るべき時が来たらこれを使うから、ここにあることは口外厳禁」と言われていた。web記事で読んだ事には、14日夜録音し、15日に発表したとあるから、保管の時間は短いと言える。朝出勤してお昼までの間と言うことだったのだろうか。
当時そう言う職場に働くにはしかも独身の女性、余程身元のしっかりした人物でないと採用されなかったのだと、みよちゃんは力説した。当時としては女性で大学を出て裕福な家柄だったらしい。
先日あることで電話が来た時うろ覚えだったその玉音の録音が職場に短期間でも存在した事実を聞いてみたのだった。そこ聞き出すまでに、彼女の近況や、話したいことを一切合切聞かなければならなかったけど。
レコードだったんでしょ?ってきいたら、いや、レコードではなかったと思うよ、との返答。
まあ、伝わり方はもう細部はわからないなと。web記事が絶対とも間違いともそれはもう問題じゃないかもね。わたしの注目は、口止めされて緊張したその日の、二十代の、みよちゃんのお母さんの緊張感のあるすごい体験なのだ。
大正生まれのお嬢様育ちのその方もう今は亡くなられて久しい。
学生時代、終戦までひたすら「回天」のバッテリーをつくらされていた私の父も三回忌が済んだ。
若いと思っていた自分自身もいつの間にやら歳を重ねた。まあだから、少し落ち着いて物事を考えるようにしたい。
って思うけど、落ち着けるかしら、、あたふたな日々🥲


玉音放送、、、

2024年08月15日 | 観たこと聴いたこと
玉音放送は、8月14日深夜行われて15日に発表されたらしかった。それくらいしかしらなかったけれど、その録音はレコード!だった事をあらためて知るとその場面がなんだか想像出来なかった。いや?レコードだったことは前にも聞いていたはずだ。
忘れていた。
それは、友達のお母さんからきいていたのだった。
玉音放送をラジオから流すまでの時間、ある場所に保管していて、それを知られないようにしたと言う話。
当時放送局に勤めていた友達の母は、自分の仕事場である一室に、その録音が保管されたと話してくれたのだ。お昼には放送されたのだから、数時間ほどの事だったと思うけれど、その日友達のお母さんは、若き日に大変緊張したとの話をされていた。その方は数年前にお亡くなりになっている、、。友達も自分の話をしっかり聞いていたらしく、ごくたまに会うとその話になることもあった。
なんかもう忘れていた!今そのお話が懐かしいような、しかし、何か生々しい緊張感があり、思い出すだけでも体力を消耗するような感覚になる。

以下には、日経新聞のネット記事をみつけたのでリンクを掲示。
気忙しく日々の問題を片付けるばかりの日常だけれど、やはり今日の日は、この「日本に住んでいる自分のこと」を考えてしまう。

         🥤🥤🥤

戦後70年に当たり、宮内庁は1日、昭和天皇がラジオを通じて国民に終戦を伝えた「玉音放送」などの録音原盤と音声を初めて公開した。これまで出回っている音声より鮮明で、重大な発表に臨む昭和天皇の息づかいも感じられる。同庁は昭和天皇が終戦の「聖断」を下した皇居内の地下施設・御文庫(おぶんこ)付属室の写真や映像も公表し、いずれも…





ダイアナ湯川さん

2022年08月12日 | 観たこと聴いたこと
Facebookでフォローさせていただいているダイアナ湯川さん、、、
今年もあの御巣鷹山の事故の日がきましたが、このところ、コロナウイルス対策が緩和されたのかそうでないのか微妙な時勢のなか、来日は難しいでしょうね。

今ダイアナさんの二人の娘さんがとても可愛い。Facebookにお写真が上がるたびに、何かこう親目線で安堵の心持ちです。

さて、皆様にはまたまたご無沙汰でした。
その間、個人的にもさまざまな状況の変化がありました。六月には父が亡くなりました。8月8日四十九日法要を勤めました。
これまで法要を経るたびに、父とはわずかながら向き合うことのできる日々。ああ、こういう対峙のしかたが残されていたのだなあ。

今年も慰霊の行事が行われた御巣鷹山のニュースがありました。悲しみは残る。悲しみと共に生きる。ずっとそのような中に、ご遺族の方々の人生が織りなされているのだとかんじました。

すべての別れのなかに、皆同じとは言えなくてもそれぞれに、
自分自身の人生が深く関わっていくのだと思います。


音楽の輸出

2022年01月06日 | 観たこと聴いたこと
今朝、スェーデン在住日本人の方の音声配信ライブを寝ぼけ状態で聴いていました。
色々興味深い話があったのですが、忘れないうちにこれだけはキロクしておきます。

それは、今は変わっているかもしれないけれど、つい先頃までは、スェーデンが音楽の輸出世界第三位であったということ。
そして日本の音楽は、現在、世界で人気が出ていること。
この2点。

ライブホストの話によれば、申し訳ないけどスェーデンくらいの曲で世界3位の輸出量はすごいことだと。
日本も輸出に力をいれたら良いと思う、今
70〜80年代のポップスが人気出てきて、わざわざ日本でCDを買っていくアメリカ人、ヨーロッパ人がいるんだし、、、
とのこと。

で、配信中聴きつつ、ググったら、色んな記事がありました。
ちょっと読み込み時間ないのですが、タイトルには、
ストリーミングで音楽の輸出回復、という見出しなど。これは日本ではなく海外の話。

うすうす、私たちの音楽との関わり方が、配信系になっているなとは感じていましたが、
今や音楽は所有からアクセスの時代になったとの記事もありますね。

レッスンの曲、参考音源もCDを使わなくなって久しい。

ざっと覚えがきしました。



3月9日 / レミオロメン ドラマ『1リットルの涙』

2021年03月09日 | 観たこと聴いたこと

3月9日 / レミオロメン ドラマ『1リットルの涙』

 ああきょうは3月9日だったのかと、

 このコロにゃんさんのYouTubeの投稿を観て、今朝気がつきました。

 ひとつのうたの歌詞やメロディーは、作詞や作曲した方の思いとはまた別に、,いろいろな時期に聴いた人の数だけ、思い出が記憶されているものなのだなあと、いつも思います。これ、ドラマの主題だったんですね。そうか。あれから様々、時はたつ。

 私もいろいろなことが思い出されます。普段は忘れていて全く思い出していなかったことも。一番覚えているのは、この日私は、たしか明治大学管弦楽団の演奏会を聴きにいっていたことかな。4年生はいなくて、各学年の、うーん弦だけだったのかもしれない?そのあたりのことは忘れました。板橋の市民ホールだったような気がする。娘を誘ってあったけど、具合が悪くなり、私だけ行ったなあ。上京した当日だったと思う。疲れてたよね。私だけ妙に張り切っていたみたいで。今考えると、恥ずかしい。性格の違いもあるとおもうけど。

 そして思い出は地層のようにどんどん積み重なっていく。たまに、どこにあるのか取り出してみることがまだできる状態にあることは幸せなのかもしれないですね。胸の痛くなる思い出もあるにはあるけれど。

  バイオリンで奏でてくださっているコロにゃんさんは、Twitterの相互フォローのおかたです。昨年秋、オンライン合奏の情熱大陸演奏に参加したときのご縁ですね。YouTubeで数々の曲をアップされていますので、チャンネル登録して聴かせて頂いています。ずっと後から知りましたが、彼女はアメリカ在住なんですね。SNSならではのご縁です。

このブログ、書きっぱなしであまり読み返すこともなく、たまっているログは、ほとんどがそれほどの有用性もない。なので、どうしたものかと思います。

たまに皆様にお読み頂いている昔のタイトルをみると、すごく懐かしかったりします。


どきっ!松永政秀の平蜘蛛、その扱い

2021年01月11日 | 観たこと聴いたこと

あああ?触ってなでなでしてるう。
釜をー😭
いや、ドキドキするわ。

あの、そのドキドキは、ストーリーにといいたいが、
松永政秀が明智光秀に大事な平蜘蛛を披露したとき、手のひらを釜につけていて、
そこが気になり話しが脳内から半分飛んでしまいました。
 
茶道を勤しんできた者としては、それをしたらめっちゃ叱られる案件。ビクビク。
ひょっとして私の勘違いかと思いちょっと検索。
某茶道入門のHPで確認。やはり、
🌟🌟🌟🌟🌟
釜は手の汗などから錆びやすいので出来るだけ手を触れない方がよく、服紗や懐紙等で扱います。
お湯を沸かす場合、練炭、ガス等は硫黄(いおう)気が強い為、いたみやすいので絶対使用しないで下さい。
釜に手や他の脂気(あぶらけが)ついた場合は熱湯でよく洗い温湿布、又は乾布で軽く拭き取ります。
🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟
とあります。

べつに、演出がけしからんとか、ツッコミを入れたいわけではないんですよね。
ただただ、自分が叱られる錯覚に陥り怯えたのでした。

そう、先程NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の録画を楽しく視聴したのでした。リアルタイムで観るこて殆どできないですが、毎週の楽しみです。

松永政秀と信長に纏わる茶釜。平蜘蛛。わたしはそのエピソードはそれほど詳しくはなくて、
アニメの「へうげもの」の印象があるのみ。たしか、平蜘蛛がUFOのように宙をグルグル回転しながら飛んでいったような気がします。w

吉田剛太郎さん演ずる松永政秀が魅力的でした。
そして光秀が信長に問われて本当の事を言えなかった、光秀に言わせなかった、よくわからない気持ち。

光秀の行動への伏線でしょうか。

光秀も釜をペタペタ触ってたけど、
もうそんなのは気にしないことにする。

いろは太夫の伝言が重い。

最近色々と史料の新発見などあり、
ドラマはどう展開するのか楽しみです。

それにしても平蜘蛛にペタペタ。


夜に駆ける

2021年01月10日 | 観たこと聴いたこと

基本、私はレッスンの曲だけで精一杯ですが、フルートの人が合わせようとお誘いくださったり、

なんだか、今迄は体がしんどすぎて、続けているだけで良し、とハードルを思いっきり最低ラインに下げていた私が、いつまでものんびりとしていられなくなりました。
なんだろう?

しかし練習時間がとれるのか?
今や細切れ練習の日々なんですが、効率重視でやることにして、機械的になっています。


 
夜に駆ける【バイオリン】
 
最近この曲も弾いてみたいと思うようになりました。
流行りに乗じて弾きたい気持ちが動くの初めてかな?




竈門炭治郎のうた

2021年01月09日 | 観たこと聴いたこと
ピバルディ、2楽章がなんとかならないうちは、レッスンの曲以外に手を出さないでいましたが、
竈門炭治郎のうた、
弾いてみたい。

竈門炭治郎のうた(低い音域)

 
YouTubeにはたくさんの方がアップしておられますが、
「バイオリン独学塾」のフミ子先生の演奏をご紹介。

この先生の他に、初心者むけの楽譜を別のサイトで別の方が販売されているので、興味あります。
ぷりんと楽譜のところにもたくさんあるので、
どれにしたらいいのかな。少し探してみよう。
 
と、思っているうちに、友人から今日LINEが来て、1月中に一度合わせたいてのこと。
こちらの曲は、フルートとの合奏で「ふるさと」です。
竈門炭治郎のうたも提案してみようかな。
楽譜買わねば。
 
ピバルディは3楽章が不安。師匠が2ndとは比べ物にならないよ!心して!
と、また脅すし〜
 

そらぷちキッズキャンプのランチパック

2019年09月16日 | 観たこと聴いたこと
発売になりました(^ ^) 
ヤマザキのランチパック、
ジンギスカン肉じゃが風。
今日はおなか一杯なので
明日いただきます。
どんどん知名度アップするとよいな。
今年秋から年末にかけては、仕事と私用がモリモリなので、来年研修受けて、再来年キャンプ参加出来たらよいなと密かに考えています。

戦争を知らない子供たち

2019年08月15日 | 観たこと聴いたこと
今から10年前、というと、
私は何をしていたか。

今咄嗟に思い出せるのは、更新期限が迫った娘のマンションを次どこに引っ越しするか、娘は楽オケで何やら忙しいから、私が探していた。
という情景。

ネットで大体の目星をつけて、管理会社と連絡をとり、内覧するため上京した。

と、なんとも平和且つ過保護ともいえる、しかし私の交際範囲で見渡す環境からそれは誰でもやっている行動だと認識していた。今考えると私の周囲は平和だったのだ。

この10年の間に劇的に変化したことはある。
それはITの進歩発展。これはすごい。
この進歩が、社会の変化の引き金となり、人々の意識に影響を与えたと思う。世代の分岐点にもなる。

今日は終戦記念日。

しかし現在の実際の私の生活は、終戦の安堵やある意味激しく心揺さぶられる喪失感もなく、生きていくための緊張感は、感情の外にあり、ゆるやかな覚悟をする時間の余裕さえあるように見える。

終戦からの10年後とはあまりに違う。
当時戦後10年目迎えた人々は何を思っただろう。
価値観が急にひっくり返った戦後の10年、
やみくもに何か行動すれば、ひたすら頑張れば手に入る未来がある、と思い奮起し、活気も生まれていただろう10年と今から10年前を思い出すこととは比較にならない。

前置きのつもりがつい長くなってしまった。
私の父は予科生の軍事教練をしている間に終戦となり、母は女学校で軍服のボタンつけをしていた。(勿論二人はまだ知りあっておらず、戦後9年目にお見合いして結婚し、戦後10年目に私の兄が生まれた。)

さて、
「戦争を知らない子供たち」
という歌が、1971年にレコードとして発売された。若者の心情が歌われていた。

その、当時の「若者たち」は、今はもう終活を意識する世代となった。

今思うと、その歌の戦争を知らない子供たちは、戦争のまっだだ中にいた親たちに育てられていた。
生まれたのが戦後で、自身は戦争を知らないが、その打撃と悲しみを覚えている世代との関わりがあった。けれどそれを語り合うことはそうはなかったと思う。

私の父親は、私が学生時代全くそんな話戦争の話はしたことがない。
母親は、二言目には「物のない時代だったから云々、、」が口癖だった。またかーと、思いいつもスルーしていた。
が、ほんとうに、物が、なかったのだった。
母の印象はそれだった。

つい何年か前から父は、軍事教練の話をするようになった。私のストレートな質問に答えての話だった。教官の、頭のてっぺんから声出ししているような号令が嫌いだったと、話せたのは戦後70年経ってようやくだったのかと思う。
きっと嫌な緊張感のイメージがあってそれを語らせなかったのだろうと思った。

私の世代が生まれた時すでに高度成長が始まっていたから、自分はのほほんと平和を享受したかに思えるけれど、子供と違い大人の10年というものは、
そんなに過去の話ではなかったのだと、
年を重ねた今改めて思う。

いつだったか言われていた「日本は世界の中で普通の国にならなければならない」との表現を記憶しているが、
普通の国などと曖昧な言い方だ。
何をもって普通かという
その前提が間違っていると思う。


戦争の怖いところは、思い通りにならない事象をすべて戦争のせいにせざるを得ない、いびつな生き方を強いられることではないだろうか。










アゲイン || WANIMA【#OneHourMusic】

2019年03月10日 | 観たこと聴いたこと
アゲイン || WANIMA【#OneHourMusic】



この季節、卒業ソング、など聴いてみたくなる1年ごとのサイクルだったのだけれど、
今現在の私の気持ちは、WANIMAの この歌ですね。

この歌、「メゾン・ド・ポリス」っていうTVドラマの主題歌だったんですね。
見てたんですけどね、気が付かなかった。あまり落ち着いてみてなかったせいですね。
Youtube musicのアプリを見ていてこれが出てきて、
この声に惹かれました。

声って、面白い。
声を記憶できるのも面白い。
それを再現する能力はないけれど。でも、脳内で思い出すことができるんですものね。
過去に聞いた声さえも。「3月9日」の当時の声しかり。

そういえば明日は3・11。その午後3時頃は娘と電話で話してた。

そして、(というか何もそしてじゃないけどね、何か繋いでしまいます、、、w)
2019・3・10現在、の気分はこれです。

内容と、この声なんだ。
著作権の関係で消される動画かもしれません。ヤッパリ違法なのかなと思いつつ、、、、
なんか図々しくなったんかな。(ごめんなさい、、、っていえば済むんかい?)

口ずさみますねえ、
このままじゃーおわりたくないからーあああー www

てことは、最高に今崖っぷち気分なんですねえ。気分がね。

膝震えながら何度でもスタートを切るんだよ。


やっぱり3月9日

2019年03月09日 | 観たこと聴いたこと
もう古い歌の部類になったかな?と、
ひそかに考えていましたら、
Twitterのトレンドにレミオロメンの三月9日を聴いてしまうとかの記事がありましたね。
聴くのねー。

私は昔のレミオロメンの声で記憶しているので、
大人に円熟した歌声だと、物足りないかも。
何かしら思い出とセットになっているので、無意識に、こもごも含めて再現率を求めてしまうのかも。
この歌は娘との思い出が主です。

(この季節、アンジェラ アキの手紙も同時に聴きたくなります。)

ずいぶん昔の歌になっちゃったけど、
聴くとなかなかよいです。


国際婦人デーとバービーの思い出

2019年03月08日 | 観たこと聴いたこと
夜のニュースを見たら、
3月8日は国際婦人デーだったそうだ。
(私にとっては歯医者さんの予約日だったが。)

そしてバービー人形は、時代ごとの女性の活躍を反映して作られているらしい。
今年は黒柳徹子さんと、テニスの大阪ナオミ選手が、バービーに表現されたという。

私もバービー人形を持っていた。今はどこにしまったかわからないので、過去形になる。そのお人形のことを、以前書いたように思うけれど、過去ログを探してみるげんきはないのです。

10才くらいの頃、ある女性が私にくださったものだった。その方は女性の僧侶で、私の家のお客様だった。
若かったのかもしれないが、実質主義なのか、あまりオシャレな女性でもなく、当たっているかどうかはわからないが、思うに当時のインテリ女性はおそらく地味だったのだろう。

おばさんだ、との認定もしたが、その人は正直に生きている、と、なんとなく幼心にきがついていた。わたしの母が代表のごとく、同性からは奇異に感じられてもいたようだが。

あるとき、その人は、アメリカに講演に行く事になり、わたしに何かお土産を買ってきましょうと.「そうね、お人形を買ってきましょう」と言ってくださった。言われた私はポカンとして半信半疑だったので、それっきり忘れていた。

しばらくその女性は家に来なかった。が、忘れた頃にまたお見えになり、「お約束のお土産をあげましょう。」

その日私は初めてバービー人形なるものに出逢った。
、、、その時は、なんか可愛くないな、と思ってしまったのが正直な感想だったのを覚えている。

あの人はアメリカで何を話してきたのだろう。自分の夫は戦死しており、ならばどういう心持ちでアメリカを訪問したのだろう。そんなことを大人になってから時々思い出している。
少し甲高い声の、よく通る声を未だに覚えている。わたしにはその声が、当時まだ子供だった自分の中の、「なにか」を呼び覚ますような心地良いものだった。

バービーが、それぞれの時代のアイコンとなる女性たちをモデルにしていると知ると、
遠い昔、今よりもっと男性社会だった時代に、夫を失い何かと不遇なこともあったと想像される中にあり、飄々と逞しく生きていたあの女性を思い出さずにはいられない。
飄々と、に見えたが、時には自分の主張を貫き、堂々と、紙面論戦も厭わなかった。逞しく、と見えてはいたが、同時に、正直に哀しみをも受け止めていたのだと思う。理性がそれを覆い隠すためか、飄々にも堂々にも見えたのだと思う。

そして子供である私に約束した事を、うらぎらなかった。漢気をも感じるその人に、私は感謝して、今また、あたたかな気持ちになる。


Элизабет Турсынбаева.Выпускной госэкзамен в музыкальной школе им.Аренского 16 05 2014

2019年02月10日 | 観たこと聴いたこと
youtubeよりエリザヴェート・トゥルシンバエワの演奏。

Элизабет Турсынбаева.Выпускной госэкзамен в музыкальной школе им.Аренского 16 05 2014


今日はフィギュアスケート4大陸大会の女子フリー、録画しておいたものを
見ました見ました。

優勝は紀平梨花さん、2位はエリザヴェート・トゥルシンバエワさん、3位は三原舞依さん。

フィギュアスケートはいまやジャンプの難度が点数の要ですね。確か荒川静香さんが金メダルを取った時はまだ、女子のトリプルアクセルは見られなかったかも。確かダブルアクセルではなかったかな。あ、その前に伊藤みどりさんが跳んでたのかな?
何にせよ、ダブルだろうがトリプルだろうが、とても人間技とは思えない回転に加えて芸術要素も重要という、、、奥が深いです。見たくなりますわ。いまや、跳ぶ選手が沢山出てきています。

それはそうと、今回は2位のエリザヴェート・トゥルシンバエワに注目してしまいました。
バイオリンを弾くんですね。
可愛い❤️
動画がありましたので、たやすく拡散していいのかなと今更ながらに貼ろうかまよいましたが、ご一緒に拝見しましょう。初々しさに負けた。

なんていう曲なのかしらね。



***

投稿を迷っているうちに、もう世界選手権ですね。(^^)
2月28日になってしまいました。
選手の皆さん頑張ってくださいね。

エリザヴェート・トゥルシンバエワさんも。出るのかな?