My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

ポケベル・トランシーバー爆発、以後いろいろ考える事あり。

2024年09月26日 | 観たこと聴いたこと

この「ポケベル、トランシーバーの爆発」はヒズボラに対する狭い意味でのテロ行為とするのは間違っていて、国が関与した戦闘行為だという知人の話に、なるほどなあ、、、と思いそれに派生的な想いを書こうかなと思っている内に仕事の切れ間がなくて、なんだか話題はどんどん古くなった気がするけれど、、、

と思っていたら、youtubeで先ほど袴田さんの再審判決のライブ放送を観た。

袴田事件に関して私は詳しい知識は無く、しかし、定期的にニュースになっていて、正直「まだ結論が出ていないんだなあ」とぼんやり思っていた。今私はそれを申し訳なく思う。自分の日々のあくせくに余裕のかけらもなく、遠いところでおこっていることとしか思われなかった事を。自分が子どもだった頃のその事件が起こり、

それ以来の私は「普通に」生活して進学し卒業し、紆余曲折もあり、結婚し子どもを育て、我が子が大学を卒業し就職し結婚し(してない子も1名)その子に子どもが生まれ幼稚園に行きそのこの下に第二子が生まれ、、←イマココ

で言う、別に対して聴きたくもない面白くもない他人の、私の話超速で延々と話したのは、その間袴田巌さんは、すっとえん罪に苦しめられ、多くの時間を刑務所の中で過ごさねばならなかった事実を、改めて今日の会見でその重さを感じたからだ。

私のする取るに足らないとおぼしき、皆さんには退屈な、かいつまんだ話が「ふつうにある取るに足らない当然のこと」ではないと言うことだ。飛躍すると思うかもしれないが、袴田さんは私であったかもしれず。性別に無理があろうがなかろうがすなわち私=袴田さんであったかもしれない、と思う。確率は0%ではない。どこかがズレたら、傍観するものから当事者へ。だからとて、その立場にならなくてよかったねと安堵する気持なんか無い。無いよ。

ここまで書いて、実はこんなこと延々と書くつもりはなく、

袴田さんのお姉様がすごい。と思った。それしかない。会見の質問に応答するいちいちが肝が据わっていて、質問者が薄っぺらく見えた。58年戦ってきたかたなんだ。

何の知識もない私は、お姉様のたたずまいに、そこに人間を観た。人間の尊厳を観ました。

(ヒズボラ問題がもう飛んでしまった軽薄な自分だ)ああなんだか自分が薄っぺらい。

 

 


あの棚の上に。玉音放送②

2024年09月06日 | 観たこと聴いたこと
今年、昨年に比べて多いように感じるのは、太平洋戦争の再検討的記事や地上波&BS放送、YouTube放送の番組の題材。
気のせいかなとも思う。
自分がそこに注目したからそう思えるのかなとも思う。その一つ一つを読んだり視聴する時間がないから、結局見出し的認識に過ぎないのはわかっているのだけど。
ただ、我が国が戦争に至った経緯を客観的に見ることが難しかった学生時代、その私達の世代に、ずいぶんときを経てからの現代に、アメリカ国防省の分析がなかなか興味深い。
特に真珠湾攻撃の再検証などは興味をひく。
真珠湾に関して、実に卑怯な作戦だったと教え込まれるか、何でもかんでもあの時代は仕方なかったんだ、と言う自己弁護的な日本の大人の言葉に違和感を覚えて育ってしまった。
縁あってハワイに滞在したとき、真珠湾を見学し、気持ちがどよーんとしたことは覚えている。
いまは、それほど偏りのある気持ちはない。
ああ、だけど、勝つか負けるかしかなくて終戦を迎えたのだなあと、8月15日になるたびに思っていた。無条件降伏だと思っていたけれど、実は条件付き降伏だったとか色々わからないことが多い。何にもわからないでいたし、これから自分に何ほどのことが理解できるのかもあやしいお年頃となっている。

とかなんとか、思い巡らした。
そんな時何度も思い出すのは、私の友人の母の体験だ。
友人みよちゃんのお母さんは、終戦当時防衛省に勤めていて、そこの事務室の一室の棚の上に、ダンボールに入れた玉音の録音が保管されたと言う。内容をどれだけ知らされたのかはわからないが、「来るべき時が来たらこれを使うから、ここにあることは口外厳禁」と言われていた。web記事で読んだ事には、14日夜録音し、15日に発表したとあるから、保管の時間は短いと言える。朝出勤してお昼までの間と言うことだったのだろうか。
当時そう言う職場に働くにはしかも独身の女性、余程身元のしっかりした人物でないと採用されなかったのだと、みよちゃんは力説した。当時としては女性で大学を出て裕福な家柄だったらしい。
先日あることで電話が来た時うろ覚えだったその玉音の録音が職場に短期間でも存在した事実を聞いてみたのだった。そこ聞き出すまでに、彼女の近況や、話したいことを一切合切聞かなければならなかったけど。
レコードだったんでしょ?ってきいたら、いや、レコードではなかったと思うよ、との返答。
まあ、伝わり方はもう細部はわからないなと。web記事が絶対とも間違いともそれはもう問題じゃないかもね。わたしの注目は、口止めされて緊張したその日の、二十代の、みよちゃんのお母さんの緊張感のあるすごい体験なのだ。
大正生まれのお嬢様育ちのその方もう今は亡くなられて久しい。
学生時代、終戦までひたすら「回天」のバッテリーをつくらされていた私の父も三回忌が済んだ。
若いと思っていた自分自身もいつの間にやら歳を重ねた。まあだから、少し落ち着いて物事を考えるようにしたい。
って思うけど、落ち着けるかしら、、あたふたな日々🥲