本当は真っ直ぐに進み続けたい。だから、方向を変えるには信仰による勇気が必要。でも、このほかに今、私には道がなくなってしまったのだから・・。
水の流れが水路に沿って流れるように、あちらに行き詰まればこちらに進み、こちらにぶつかればそれを避けて流れる。それはとても自然にそうであって美しい風景となってゆく。
道を開かれるのは主。先立つ雲の柱、火の柱。
一体お前は何処に行こうとしているのか、と問われれば「主のみこころのままに・・」としか答えられない。そこは、イエスさまの備えてくださった所。
今私には、まるで先が見えないから暗闇に向かって行くようだけれど、みことばは私の足のともしび私の道の光。
光はやみの中に輝いているから・・やみはこれに打ち勝たなかったから・・。このやみは必ずあけぼのを見るだろう。
みことばは、私にはいつも今を生きるための導きだから、日ごとの「今」をみことばによって生きよう。それが繋がった時にできあがるもの、それが「主の作品」でありますようにと願いつつ・・
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「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:20)
此処が私の居場所 ハレルヤ!