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「イエスは弟子たちを教えて、「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる。」と話しておられたからである。
しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていた。」(マルコ9:31~32)
イエスさまは十字架に向かって進んでおられた。しかし弟子たちは、イエスさまのお言葉に耳を貸すこともなく、イエスの弟子という立場にあぐらをかいて、その輪の中で自分の立ち位置を探っていた。
「道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。」
主は「しんがりになれ」と言われる。それは強い者には難しく、弱い者には易しいことである。
このとき弟子たちは、思い巡らせなければならないイエスさまのお言葉を脇に置いて、この「今」という時が永遠に続くような気分でいたのだろう。
ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」(ヨハネ9:38)
「私たちの仲間」とは弟子たちの仲間のことであって、イエスにとっての仲間ということではなかった。
自分たちだけがイエスの仲間であるという思いは子供っぽい。小さな者を受け入れ躓かせないように育てるには、大人であることが求められる。
しかし、彼らは仲間としてイエスさまの何を知っているのか、そのことには思い至っていない。
この世の価値観を自分たちの世界に持ち込んで競い合っている弟子たち。しかしイエスさまは真逆に進まれる。
いつまで経っても成長のない役立たずのような者のために死んでくださるお方であり、理不尽を真っ正面から受け入れて殉じるお方であり、ほめ言葉の代わりに嘲りを受けてくださるのである。
イエスさまはゲヘナの話を弟子たちにされた。そうして今、私たちに教えておられる。
あなたの信仰の妨げとなるものを切り捨てよと・・。永遠に燃え続ける裁きの火を恐れて、今自分で焼き払うべきものは、誇り高ぶらせる地位、世に器用な利き手、人を追い越すに速い足、世を見つづける目など、誘惑となるもろもろ・・。
その後に残る塩気を保ちつつ主に在って和合するとき、何にあぐらをかくことはなく、互いに主を交換し合って日々成長し、御国のゴールを目指して共に駆け抜けることができるだろう。
主はすべてのことについて、理解する力をあなたがたに必ず与えてくださいます。(Ⅱテモテ2:7)
いつもイエス・キリストのことを思っているなら、私たちはイエスさまを必ず知ることができる御約束!ハレルヤ!
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