石ころ

一度死ぬこと(主のストーリー)


 主人が二日ほど続けて寝汗をかいた。それが悪いものなのか、単に羽毛布団が暑かっただけなのか・・わからないけれど内心ヒヤリとした。
主人にとって、寝汗は症状の一つであるから良いことではない。取りあえず布団を少し嵩の低い古い方に取り替えてみた。確かに今のは暑いだろうから・・。

そうして体温と体重を記録する。今はどちらも心配のない状態だけれど・・、こういうことが続くようだと放っては置けない。
「何か変化があれば知らせてください。」と医師には言われていたけれど、此処は落ち着いて様子を見なければ、またまた検査、検査ではそれによって悪くしてしまう。

イエスさまの癒しを受けても人は必ず一度死ぬもので、そこを越えない限り永遠を受けることは出来ない。世での命を握りしめることはできない。
祈りつつ・・ありのままを静かに見つめて、一日一日を噛みしめるような感謝の中で生きるのみ。


 昨日は息子も風邪で休暇を取って、主人と一緒に近くの医院に行く。主人は何時ものように点滴を受けるが、息子は点滴を断り、医師の「わかった、わかった」という言葉で薬をもらって来た。

私の風邪がうつったのだと思う、あれからずっと風邪気味で頑張っていたのだけれどついに陥落したのだ。
彼は毎日一万歩あるいて運動不足には気をつけているけれど、この風邪は抗生物質でないと駄目だと言ったのに・・。

 午後、義妹から電話が掛かってきた。おばあさんはもう何時でも退院出来るということだった。
おばあさんの世話は彼女と二人で相談しながらやっている。私たちはおばあさんとは血のつながりのない者同士だけれど・・そういうものである。
彼女はおばあさんが少し呆けているという心配をしていた。まあ、わかっていたけれど、さして差し障りはないなら大目に見ていればいいと思う。

年を取れば時間的な錯覚や、直近の記憶が曖昧になるのは普通にある。私はそういうときあまり騒ぎたくない。何度でも初めて聞いたように答えてあげればよいし、わかりやすく書いてあげれば済むこともある。

早期の薬よりも大切なのは、安心感、自信、自尊心を保ってあげることだと私は思っている。「あなたは呆けているのだ」と留めを刺すように追い込みたくない。きっとそれはとても不安だろうから・・。
さりげなく、今までのように生きる時間を少しでも延ばしてあげたい。もう、その選択が許される年なのだと思うから・・。

 若くて体を鍛えていても病気にはなる。生きていると言うことはそういうこと。
その、一度は死ぬ命のぎりぎりの所に追い込まれたとき、安らかに世を去り主の御手に身を預けることができますようにと祈る。
主人は昨夜は汗をかかなかった。よかったね。


だれもたどりつく おおかわも平気です
主がついておれば わけなくこえましょう
やさしい主の手にすべてをまかせて
旅ができるとはなんたる恵みでしょう  聖歌651


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