ヨシュアは民のつかさたちに命じた。
「宿営の中を巡って、民に命じなさい。『食糧を準備しなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡るからだ。あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、あなたがたは進むのだ。』」(10~11)
みことばを聴いたなら自分を忘れて、すぐに行うことが従順である。
アブラハムが御声に従ってイサクを捧げる時、息子を愛することさえ忘れて朝早く山に登って行った。もし、自分を少しでも心配するなら従順のタイミングは失われてしまうのだ。それは神に信頼しなかったからであり、一番に愛しなかったからである。
アブラハムは彼がイサクを愛するに遥かに勝って神がイサクを愛しておられることを知っていたのである。
創造主なる神への従順は盲目的であって良い。命じられた方は造り主なのだから当然なのである。一体被造物がどうやって造り主のことばを判断することが出来るだろう。
聖霊なる神の導きがある今は尚更である。その時、キリストの平安は信仰者を離れることはなく、まことに今は恵みの日である。
ヨシュアは、モーセの働きをすぐに受け継いで神の計画を行う。それが出来るのは彼がみことばを聴いたからである。リーダーは主に日々聴いて自分を混ぜ込むことなく、みことばを語らなければならない。そこに主の権威が伴うのだ。
その一方で、ルベン人、ガド人、およびマナセの半部族にヨシュアは言った。
「主のしもべモーセがあなたがたに命じて、『あなたがたの神、主はあなたがたに安息を与え、この地を与えようとしておられる』と言ったことばを思い出しなさい。」(12~13)
ヨシュアは、彼らがモーセとの交わした言葉を思い出させる。ヨシュアの言葉を聞けとは言わず、モーセと交わした約束を思い出させて、モーセが生きている時と何も変わらないことを示した。
「あなたがたの妻子たちと家畜は、モーセがあなたがたに与えた、このヨルダンの川向こうにとどまりなさい。しかし、あなたがた勇士はみな、隊列を組み、あなたがたの兄弟たちより先に渡って行って、彼らを助けなければならない。」(14)
神の約束は永遠に変わらない。神の祝福は常に変わらない。しかし、人が神と交わした約束を守ることは至難である。それゆえ、神は私たちの信仰の初めに、助け主なる聖霊を遣わしてくださったのである。
聖霊は、神の約束のみことばを思い出させて勇気を与え、神の愛に浸して喜びのうちに従順させてくださる。神を愛する愛を満たしてくださるからである。従順は此処から生まれるのだ。
彼らはヨシュアに答えた。「あなたが私たちに命じたことは、何でも行います。あなたが遣わすところには、どこでも参ります。
私たちは、あらゆる点でモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。どうかあなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。
あなたの命令に逆らい、あなたが私たちに命じることばに聞き従わない者はみな、殺されなければなりません。あなたは、ただ強く雄々しくあってください。」(16~18)
この言葉からヨシュアの働きは始まった。