石ころ

わたしは世の光です ②(ヨハネの福音書8章)

 

イエスは再び彼らに言われた。「わたしは去って行きます。あなたがたはわたしを捜しますが、自分の罪の中で死にます。わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません。」(21)

 

彼らが自分の罪の中で死ぬのは、イエスをキリストと信じないからであり、彼らを選びみことばと力あるわざによって、神を証した方を殺すからである。賢さによって自分たちの救い主を葬るのだ。

 

神が遣わせてくださったイエスを救い主キリストと信じた者は、天に永遠の住まいをたまわり、天地創造の神と御子イエスと共に神の子として、永遠を生きるのである。

 

御わざを見ても、みことばを直接聞いても悟らず、この世に執着して永遠を求めない者は、肉の命が尽きる時に、恵みと憐みによって備えられた救いのための猶予は終了する。

 

神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。(Ⅱコリント6:2)

 

そこで、ユダヤ人たちは言った。「『わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません』と言うが、まさか自殺するつもりではないだろう。」


イエスは彼らに言われた。「あなたがたは下から来た者ですが、わたしは上から来た者です。あなたがたはこの世の者ですが、わたしはこの世の者ではありません。(22~23)

 

イエスの御救いを受けた者も、この世の者ではなく天に国籍を持つ者とされている。
限りある命に一喜一憂することもなく、永遠のいのちであるみことばに拠って生きており、責められている時もほめられている時も、キリストに在る永遠の望みの中で生きるのである。

 

「それで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」(24)

 

キリストの十字架による罪のあがないに拠らなければ、すべての人は罪の結果である、永遠に燃え尽きることのないゲヘナが待って居る。


神が愛と憐みによって計画してくださった、御子イエスの命による救いを受けなかったからである。それが永遠に焼かれる罰に相当する罪である。

 

そこで、彼らはイエスに言った。「あなたはだれなのですか。」イエスは言われた。「それこそ、初めからあなたがたに話していることではありませんか。(25)

 

イエスが御わざと言葉をもって神のキリストであることを伝えても、彼らには聞きたくないことは耳に入らず、信じたくない事実は見なかったことにする。

 

「わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わされた方は真実であって、わたしはその方から聞いたことを、そのまま世に対して語っているのです。」
彼らは、イエスが父について語っておられることを理解していなかった。(26~27)

 

真理に対して耳しいにし、目しいにしているのは神を恐れぬ彼らの頑なな心である。

ご真実な神は彼らに御子を遣わし、みことばを聴いて救いを得ることを待っておられる。イエスは神の救いを成し遂げるために十字架に向かわれる。

 

そこで、イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げたとき、そのとき、わたしが『わたしはある』であること、また、わたしが自分からは何もせず、父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していたことを、あなたがたは知るようになります。(28)

 

イエスは神の権威を御父の元に置いて、人の手によって生かされる無力な赤子となって地に下り、貧しい大工として両親に仕えられた。

時が満ちて世の人々に仕えてみことばを語り、御わざを行って、神のキリストであることを世に現し、創造主なる神の愛を知らされた。

 

神の良きご計画は十字架によって完成し、イエスのよみがえりと昇天によって、来てくださった聖霊がすべてを明らかにしてくださる。

 

イエスが神とともにすべてを創造された「わたしはある」という神であることを悟るのは、聖霊の働きによることであり、彼らに神のご計画の救が実現するためには、神のキリストによって罪が解決されていることを、知らなければならないのである。

 

「わたしを遣わした方は、わたしとともにおられます。わたしを一人残されることはありません。わたしは、その方が喜ばれることをいつも行うからです。」
イエスがこれらのことを話されると、多くの者がイエスを信じた。(29~30)

 

イエスを信じるものは、神が準備してくださったいのちの恵みをたまわり、イエスから語られる神のことばに望みを置く者は、神を喜びほめたたえつつみことばに従順するようになる。


彼らがキリストへの深い感謝を持って礼拝し、永遠のいのちを生きることは創造主なる神の喜びとなる。それが初めからのご計画であるから。

 

その福音は、御父、御子、聖霊の三位一体の神のお働きによることであり、その救いは神の壮大な人類救出作戦である。救われた者のいのちが「高価で貴い」と書かれてあるのは、支払われたイエスの命に神が付けられた価値である。

宗教家はイエスを奴隷の値でユダから買った。それゆえ彼らの命の値は奴隷に等しい値であろう。

 

しかし神はイスラエルを愛された。それゆえ救いが成就する時は来る。それは神のご真実によることである。彼らがイエス・キリストにひれ伏し礼拝する日は、神のご計画によって準備されている。

 

わたしはほんの少しの間、あなたを見捨てたが、大いなるあわれみをもって、あなたを集める。
怒りがあふれて、少しの間、わたしは、顔をあなたから隠したが、永遠の真実の愛をもって、あなたをあわれむ。──あなたを贖う方、主は言われる。(イザヤ54:7~8)


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