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「裏切りの背景」「なぜユダがイエス様を裏切ったのか」「なぜイエス様がユダを十二弟子としてお選びになったのか」イエス様が夜を徹して祈って決められたのである。
私に質問されたように思えた。saltさんのメッセージを聞くと、私は自分の中で聖書の世界が広がってゆく。考えて、思いめぐらせて、みことばを思い出して、どんどん広がって行く。このことの楽しさが一年生みたいに、ちょっと分かって来た。
「ユダは、別にお金が欲しかったからではない」と話されていた。でも、ユダはお金をくすねていた。ユダはイエス様と何年も一緒にいたけれど、イエス様を近しく感じたことがない様に思える。ペテロのように自由にイエス様に要求したこともなく、ヨハネのようにいつも側にいて自分を「イエスの愛した弟子」なんて言うほど信頼できなかった。
お金に関心のないイエス様の会計係では、イエス様に誉めて貰うチャンスもなく、お金をくすねてみたりすることでイエス様を試していたのかな・・。ユダはイエス様を知ろうとすることよりも、自分の賢さの通りの「もっと良い方法」を知って欲しがったのではないか、香油を注ぐマリヤに言った言葉のように・・。
イエス様はユダをも、愛して受け入れて居られたけれども、イエス様の愛は、ユダが信頼して受け入れないとユダに届かない。私たちもイエス様の愛を、イエス様の愛の深さそのままに受け入れられないことで、私たちの思いのようになってしまうのではないかと思う・・。
イエス様といつも一緒にいて、イエス様を知ることがない者、イエス様の愛するものを愛し、イエス様の心を心としたいと願わない者は「生まれなかった方がまし」と言われているのだろう。
「教会に居ても、みことばを良く知りもしない、聖書をあまり読んでも居ないのなら、それはユダ以前の問題です。」と語られた。
ペテロは誉められたり、叱られたり。叱られた時イエス様は「退けサタン」とペテロに働くサタンに叱られた。つまりペテロを守られた。ユダも、自分に働くサタンをイエス様に叱って欲しかったのか・・。しかし、ペテロとユダは違う。ペテロはイエス様を知っていて、不器用でもイエス様を愛している。ユダはイエス様を知ろうとはしなかった。
イエス様はなぜユダを選ばれたのか?それは私たちに、ユダを通して覚えるべき事があるからではないか・・。イエス様を知ることの大切さ。みことばを求める事の大切さ。知ろうとしないことはユダの罪だと。