76歳の手習いは歯磨き・・、きれいにしてくださった後で電動歯ブラシを使っていることを話すと、電動歯ブラシで磨いて前歯裏への歯ブラシの当て方を教えてくださった。ちゃんと磨いているつもりだったけれど、まったく当たっていなかったのだ・・。教わることのありがたさだった。
質問に丁寧に答えてくださったので、聞きたいことが聞ける雰囲気にすっかりリラックスして、優しい手は歯だけではなく心にまで届いた。
私は人に向かって「癒して」なんて言葉を口にすることは「卑しい」と思えて嫌いだけれど、老人に丁寧に接してくださることに癒されていた。
医師は今後の治療の進め方と起こりうるリスクも分かるように説明してくださった。入れ歯にするかブリッジにするかの選択もさせてくださった。
自分で決めたことには治療にも積極的になれるので、朝のうがいの水が染みたときも、たまにチラッと痛みがあっても、「ああ、先生が言っておられたとおりだ。」と思うと不安はなく、「健康な歯を削りたくないのですが・・」って言っておられたことなどを思い返していた。入れ歯が嫌いということもあるけれど、信頼していたからブリッジを選んだのだ。
亡くなった主人の癌治療で最も悲しかったことは、脅すような言葉だけでろくに検査結果の説明もなく、一方的に日時や方法を指定されて繰り返し、繰り返し検査を受け続けなければならないことだった。
弱った主人があちらに行ったりこちらに行かされたり・・、まるで命という人参をぶら下げられて、引き回されているようでたまらなかったのだ。
相談してほしかった。相談に応じて貰いたかったのだ。「どうしたいですか、どちらを選びますか」と・・。
今日はすべての治療の最期で、部分入れ歯が出来上がって装着してもらった。
丁寧に合わせてくださって、「気持ちが悪くても必ず慣れます。でも、いろいろあると思うので、その時はどんなことでも電話してください」と懇々と言い聞かせられた。
入れ歯は「あらっ」という感じだった。なんかぴったりと治まって忘れている・・、口を閉じると自然に奥歯で噛みしめていた。この感覚は4~5年ぶり・・だと思う。
「あまり無理をしないで・・」と言われたことを思い出し、いきなり野菜バリバリは止めてカレーを炊いた。ブロッコリーの軸もカレーに炊き込んで、サラダはやわらかい蕾だけ。
せっかく丁寧に作ってくださったものだから、使い続けて慣れることができるように、自分も入れ歯も大切に扱おうと思った。
夕食はカレーをゆっくり食べた。トマトとブロッコリーは右で噛んだ。ジャガイモやご飯は入れ歯で噛んだ。
ゆっくりゆっくり・・・、神様と関わってくださる人に感謝しつつ美味しく食べた。
コメント一覧
電気屋
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事