「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」父なる神様の、痛みを伴った愛のお言葉が切ないほどに心に染みる。
ひとり子イエスさまを賜った私たちは、「イエスさまに聞き従います。」と告白し続けたい、本当にそう思う。
そうして、備えられた御救いを受けさせて頂きますと・・。
たとえ失敗だらけであっても、誰かを通してではなく自分の目で聖書を読み、自分の足でみことばを生きて行きたい。
みことばには、個人に対して直接にささやきかける言葉がある。そのことばは自分で聞かない限り聞き取ることはできないのだから..それはそれはとっても勿体ないことなんだ。
御子の犠牲をもって与えられたみことばは親しむほどに甘く、関節と骨髄の分かれ目を刺し通される時でさえも、主のハラハラとするほどの近しい気遣いを感じることができるのは、なんと素晴らしいことだろう・・。
いのちを育てすべての必要を満たすみことばは、リアルに生きて力があることを、弱い者ほど暮らしの中で経験するチャンスは多い。それも主が備えられた助け。
どれほど暗い世にあっても、みことばはいよいよ光りを保ち近づく者の目を守ってくださるイエスさま!
みことばは神の愛を流す血管のよう・・どうして人任せにすることができるだろう。
私に向かって語ってくださる主との交わりをダイレクトに味わいたいから、私は自分の聖書を自分の目で読む。
このことが主によって赦され、守られていると言うことはなんという幸いだろう!なんという憐れみだろう!
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