孫や嫁さんに見送られて、予約の時間に息子にクリニックに連れて行ってもらった。「タクシーでひとりでも行けるよ。」なんて強がりを言ったけれど、嫁さんが「無理、無理」と言ったように、大きなショッピングモールの一角にあるクリニックは、私のイメージとは全く違っていて、いったいどこから近づいたらよいのかさえわからず、きっと迷子になっただろうと思った。
「○○さんこんにちは。○○です。どうぞよろしく。遠くから来られましたね。でも、それだけの価値はありますよ!」
笑顔でお医者さんに挨拶をされたことにはとても驚いた。
人生70年近くになるけれど、お医者さんにいきなり名前を呼ばれたことも、ご自分から挨拶をしてくださったこともはじめてだった。ご自分からお名前を名乗ってくださったこともかってなかったから。
とても微妙な箇所の治療なので、どんなに看護師さんが優しく、ちょっとユーモラスに接して下さってもどうしても緊張してしまうのだけれど、いきなり名前を呼ばれたことでなんだか安心することができた。
名前というものは不思議だ。見知らない所においても、一度で私を判別して知られているという気持ちにさせる。「病気や患部だけではないですよ、あなたを知っているのですよ。」そんな言葉を聞いたような気持ちになる。
何度通っても一度も名前も呼ばれず、カルテだけを見て薬を書き込むだけの治療には不安がつきまとう。
イエスさまは、私を名前で呼んでくださるという。そのとき私はすべてを知っていてくださる親しいお方であることがすぐにわかるだろう。主の御声を聞くことはどんなにか嬉しいだろうなぁ・・。
治療はあっという間に終わり、写真を見て説明をしてくださった。ポリープを1個切除したこと。盲腸まで診たところ腸はとてもきれいで、出血の原因となるようなものは何もない。直腸に少しストレスで荒れているところがあるけれどそれは問題ないとのことだった。嬉しくて、今日まで守っていてくださったイエスさまに心から感謝。
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この三日間ばかり孫のあかりは両親の腕の中でないと眠らない。息子は大切な壊れ物のように、胸に抱きかかえて昼も夜も部屋の中を歩き回っている。少しでも下ろされると、熱のある赤い頬に大粒の涙を流して泣く。そうして、時々「いちゃい」と訴える。この「いちゃい」の意味が中耳炎だったということが後でわかったのだけれど・・。
夜中に何度もトイレに通っていると、リビングの窓の明かりの中に子供を抱いてゆすっている息子と、側でパソコンに向かって仕事をしている嫁さんを見た。それは小さい子供を抱えて、人生のど真ん中で世の荒波と戦っている姿。
そういえば嫁さんの仕事が今週は忙しいのだと言っていた。彼らはぴったりと寄り添い、助け合って子供達を守っている。そんな中で一生懸命に、私をも支えようとしてくれているのだと、今受けているものの大きさを心に覚えさせられた。
お姉ちゃんのさくらと折り紙を作って遊んでいるときに、「とうちゃんはさくらの小さいときも、いつも遅くまでだっこしてねんねさせてあげていたよ。ズボンの中にさくらの足を入れてたよ。」「知っているよ。とうちゃんの中はあったか~いよ」そんなさくらの言葉を聞いて胸が熱くなった。そうなんだね、知っているんだね、だから出来るんだ。
手術の翌日には新幹線の駅までみんなで送りに来てくれた。そのときにはあかりも「どーなっちゅ」と私に小さなぬいぐるみをもらって喜ぶほど回復していて、それが何よりも嬉しかった。
手術前には、嫁さんが「急いで帰らない方が良いよ。」と心配をしてくれていたけれど、お医者さんの言葉を伝え腸の写真を見せたら安心したらしくて、もう何も言わないで食べられるものを選んでお弁当を作ってくれた。
おいしい御番茶を何度も何度も入れくれた。わざわざ土鍋で炊いてくれたおかいさんはとっても甘かった。
あかりを病院に連れて行く玄関先で、嫁さんが履いた靴を脱いでまでフリースを取りに行って、パジャマ姿の私に着せてくれた。当たり前みたいに着たけれど、私にはそのような細やかな心遣いが絶対に出来ない者だから、彼女に愛の細やかさというものを教わった。
イエスさまは今回沢山のことを教えてくださった。私の自分自身に対するどこか投げやりな部分をご存じで、いっぱいの愛で包むようにして教え導いていてくださるのだと思う。
痛いからいやだと以前に行った病院から逃げたときから覚えてくださり、今日に導いてくださった。
私は、自分がその弱さを主に覆われた者であることを覚えていよう。弱い者なのだからせめて人の痛みに細やかでありたいと願うけれど、まだまだ、これから学んでゆくことなのだろうなぁ・・。