ハンナは、ペニンナという二人目の妻に、子どもがないと言うことで精神的にいじめられていた。神様がハンナの胎を閉じて居られたと書かれているから、すべては神様のご計画。神様のご計画によって、いじめられる立場に立つことがある事実。
女として、夫のエルカナの慰めのことばは虚しいと思った。「私は十人の息子以上のものではなか」この言葉に真実なんてない。二人目の妻を持ったことがすべての原因なのに、「本当にあなたが私のすべてです」と喜べると思うのか!なんて・・ちょっと腹を立てつつ読んだ。
神様はハンナを追い込んで行かれる。彼女は主に叫んで誓った。そして神様に信頼して安息した。「捧げるために与えてほしい。」そんな約束をすることはとても危険なことのように思う。
サムエルが生まれると彼女は約束通りに、乳離れした時に祭司の下に連れて行って手放した。人間的には手放すためなら、産む必要はないのではないかと思う。乳離れしたばかりのひとり子を手放すことは、母であればいかに辛いことであるか・・。その痛みが神様に誓うということの結果であるように思う・・。それでもそれができたのはハンナが神様の導きの中で誓っていたからだろう。
結局子どもを持ったペニンナと、子無しのハンナという立場は変わらないわけだけど、ハンナの本当の悲しみは、子どもの有る無しではなく「主に顧みられない」ことが悲しかったのだとわかる。
主に祈りが聞かれたとき彼女は満足し安心したのだと思う。そして、サムエルを捧げたことで彼女はみこころを行った者の大きな喜びがあった。ペニンナに何人の子ができたとしても彼女には関わりのないことであり、「神様が私を顧みて下さった。」それはすべての悲しみを覆って喜びとなりハンナはもう、人を見ないで毅然と生きて行くことができるようになったと思う。
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