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>しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。(マルコ10:6~8)
そもそもアダムの骨からエバを造られたのだから、創造の初めからそれは一人なのだ。アダムを造られたのと同じように、エバを造られたのではなかった。
そうして、ふたりで命を繋いで行くものとして造られた。
こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。(マルコ10:9)
自身の骨である妻を喜ぶには、自分自身を神の創造物として喜ぶことから始まる。
互いの中に見る喜ぶべきものも、厭うべきものも、神の創造によって私の内にあったものとして、まず受け入れることが必要となる。
気に入らないと離婚して、自分の思いのままに何度でも相手を選ぶということは、それは神に造られた自分自身を受け入れず、創造の神に従順しないことでもある。
神への従順によって築かれる完全な結婚。主に在る夫婦は、誰でも神の作品アダムとエバなんだ・・。
すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」(創世記2:23)
罪を犯す前のアダムの喜び、今、私たちもキリストの聖い血潮に洗われて、罪のないアダムのように互いを喜ぶことが出来るのだ。ハレルヤ!
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