それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(2~3)
選ばれた者とは、イエスさまが「神からいただいた者」であり、救われたすべての者を支配する権威はイエスさまにあるとわかる。その権威に服従しない者は三位一体の神さまと無関係であり、イエス・キリストの支配に無い者は、永遠のいのちを持っていない。
それゆえ永遠のいのちとは、イエス・キリストを知ることである。知らない方に命を委ねるまでに服従する者はないからである。
罪からのあがない主を真に知るなら、感謝にあふれてその権威の下にあることを誇りとし、喜びとして安息するものである。そこに永遠のいのちがある。
あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。(4~5)
その栄光とは、イエスによらずに造られたものはないという神の権威である。イエスさまが人の子として地に下って来られるときに、御父の御許に置いて来られた権威である。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。(1:2~3)
御父から受けたキリストの栄光の十字架は、サタンの持ち込んだ罪と死からの完全な勝利である。すべてを成し遂げて墓に葬られ、復活して天に昇られたイエス・キリストは、御父の右の座におられる。
わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。(10)
十字架を通して、罪と死から解放された者は御名をほめたたえ、神をあがめる存在となった。御父のものは御子のもの、御子のいのちをたまわった者も、神のもの神の子とされた。
わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。(11)
霊において神の子とされた者は、今世に生きている間も、みな霊において一つなのである。
それは個々の善悪に拠らず、功績に拠らず、血筋に拠らず、キリストに在る信仰によって一つの存在として、永遠のいのちに生きているのである。
このことはイエス・キリストの祈りによることであり、神はその祈りを完全に聞き入れられるからである。
御父と御子と聖霊のひとつのように、すでに一つである。