石ころ

使徒パウロ(エペソ3章)

 

あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。(1)

 

キリストは私たちを、神への背きによる罪科から解き放ち、和解させて真理を悟らせ、キリストに在って生きる自由をくださった。
パウロはこの福音のゆえに主に選ばれ、キリストのご支配のもとに自身を捧げて従順し、肉の家族もなく、牢獄に繋がれ、殉教するまでキリストの囚人であり続けた。

 

それは彼が自分の浴するすべてに勝って、福音を伝えることの価値、キリストに仕えることの尊さを悟ったからであり、その幾多の苦難を通して証したのである。
異邦人の自由のために彼は不自由になり、異邦人のいのちのために地上の命を差し出した。

 

キリストに捕らえられた彼にこの世は何も良いものを与えず、ただ日々に苦難を与え、安住するわずかな地も与えず、ただ、殉教によって永遠の住まいをたまわった。


それは、世に枕するところも持たなかったキリストの御足跡であり、彼はその跡をたどってキリストのわざを行って癒し、みことばを語って異邦人を永遠のいのちに救い、教会にキリストを指し示し続けた。

 

私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。(7)

 

それは彼から望んだことではなく、一方的な神に選びによって与えられた、たまものによることであった。
しかし、彼は主に出会った時からキリストの囚人として従順して、キリストのなかに安らいだのである。それは、すべての良いものは、神から出ていることを、彼は誰よりも知っていたからである。

 

すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、
また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。
これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。(8~11)

 

彼は成すべきことを知らされており、語るべきことばを備えられ、進むべき方向を日々に導かれて教会を建てあげる働きを全うした。
そうして、キリストの御わざを世に現し、教会を愛することで永遠の家族を得た。

 

もし、パウロがキリストのように語らず、サタンのように語れば世で責められることも、牢に入ることも、殉教することもなかったのだ。


エバの聞きたい言葉、「あなたは決して死にません」とささやき、エバの待っている言葉、「食べると賢くなって、神のようになります」と語ったなら・・、そう、この世はこのような言葉によって栄えている。

 

しかし、彼はキリストの福音を真っ直ぐに語った。福音は聞く者のいのちを救い、語る彼の命を奪った。
私たちはそのような先人たちによって、福音に出会って救われ、新しくされた神の子である。

それゆえキリスト者はみな、後の世に伝えるべきみことばを委ねられている。


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