若い頃に浮かんだ曲で、曲の出だしやパーツだけが浮かんだまま、いまだに完成しない自作曲がある。
それも、かなり・・ある。
完成しないということは、自分の中でたいした曲じゃない場合もある。
だが、今でも変わらず気にいっているものもけっこうある。
なのに、完成できないでいたりする。
なまじ、気にいっているぶんだけ、ボツにせずに、いつか完成させたい・・という気は持ち続けていたりする。
中々完成しないと、たまに完成させようと手がけても、納得できないと、また「寝かせる」ことになる。
ある曲は、メロディも演奏法もほぼ完成してるのに、どうしても歌詞ができない。
ある曲は、歌詞ができてて、いつかメロディをつけようと思いながらも、いつの間にかそのままになってしまっている。
ある曲は、歌詞が出来てて、メロディもできているのだが、どうしても一部のメロディが気に食わず、自分としては「完成」してるとはみなせない、「中途の曲」。
などなど・・・。
10代の頃に浮かんだ「中途曲」は、10代の頃の自分の感性と、現在の自分の感性に違いがあり、いったんその曲をリセットし、パーツだけ活かして、新たに作り直したことはある。
だが、20代の頃に浮かんだ「中途曲」は、基本的に原型を保っている。だが、そこに歌詞などを乗せてみようと思って歌詞を書きかけても、数行歌詞を書いただけの時点で納得がいかないと、その「乗せ始めた歌詞」はボツにする。そしてその曲は再び眠りにつくことになる。
で、年月がたつにつれ、そういう「中途曲」が溜まっていくことに。
途中のメロディが気に入らない場合のほうが、歌詞がつかないよりはまだ楽な気はする。
だが、そのメロディにしても、最初につけたメロディというものは、どうしてもイメージとしてつきまとうことになる。
最初に、納得がいくメロディが最初から最後まで浮かべばいいが、曲によってはそうはいかない場合もある。
そんな場合に、途中のメロディを改良しようとするのだが、最初につけたメロディの幻影は、案外大きい。・・というか、邪魔になることさえある。
ところが、出だしのメロディには納得していて、途中のメロディに納得していない場合、どうしても「いったん流れた、メロディの流れ」というものが頭に残っており、えらく苦労してしまう。
一方、歌詞が長年つかない場合は、これはもう袋小路にでも入ったような気分。
ちょっと数行書いてはボツにし・・の繰り返し。
だんだん自分のなかでハードルだけがどんどん上がっていってしまうので、中々完成しない・・。
やはり、一気に書き上げることができた曲・・・というのが、一番いいのかもしれない。
一気に書き上げたあとに、場合によっては、何か所か改良する・・それぐらいが一番自然な出来上がりになるのだろう。
でも・・
未完成のパーツが気にいっていると・・・どうしても、そのパーツを完成させたいという気持ちは・・・捨てきれないのだ・・。