時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

何十年も放置されてる曲

2015年06月17日 | 音楽活動

若い頃に浮かんだ曲で、曲の出だしやパーツだけが浮かんだまま、いまだに完成しない自作曲がある。



それも、かなり・・ある。



完成しないということは、自分の中でたいした曲じゃない場合もある。



だが、今でも変わらず気にいっているものもけっこうある。



なのに、完成できないでいたりする。



なまじ、気にいっているぶんだけ、ボツにせずに、いつか完成させたい・・という気は持ち続けていたりする。



中々完成しないと、たまに完成させようと手がけても、納得できないと、また「寝かせる」ことになる。





ある曲は、メロディも演奏法もほぼ完成してるのに、どうしても歌詞ができない。



ある曲は、歌詞ができてて、いつかメロディをつけようと思いながらも、いつの間にかそのままになってしまっている。



ある曲は、歌詞が出来てて、メロディもできているのだが、どうしても一部のメロディが気に食わず、自分としては「完成」してるとはみなせない、「中途の曲」。



などなど・・・。



10代の頃に浮かんだ「中途曲」は、10代の頃の自分の感性と、現在の自分の感性に違いがあり、いったんその曲をリセットし、パーツだけ活かして、新たに作り直したことはある。



だが、20代の頃に浮かんだ「中途曲」は、基本的に原型を保っている。だが、そこに歌詞などを乗せてみようと思って歌詞を書きかけても、数行歌詞を書いただけの時点で納得がいかないと、その「乗せ始めた歌詞」はボツにする。そしてその曲は再び眠りにつくことになる。



で、年月がたつにつれ、そういう「中途曲」が溜まっていくことに。





途中のメロディが気に入らない場合のほうが、歌詞がつかないよりはまだ楽な気はする。



だが、そのメロディにしても、最初につけたメロディというものは、どうしてもイメージとしてつきまとうことになる。



最初に、納得がいくメロディが最初から最後まで浮かべばいいが、曲によってはそうはいかない場合もある。



そんな場合に、途中のメロディを改良しようとするのだが、最初につけたメロディの幻影は、案外大きい。・・というか、邪魔になることさえある。



ところが、出だしのメロディには納得していて、途中のメロディに納得していない場合、どうしても「いったん流れた、メロディの流れ」というものが頭に残っており、えらく苦労してしまう。





一方、歌詞が長年つかない場合は、これはもう袋小路にでも入ったような気分。



ちょっと数行書いてはボツにし・・の繰り返し。



だんだん自分のなかでハードルだけがどんどん上がっていってしまうので、中々完成しない・・。





やはり、一気に書き上げることができた曲・・・というのが、一番いいのかもしれない。



一気に書き上げたあとに、場合によっては、何か所か改良する・・それぐらいが一番自然な出来上がりになるのだろう。





でも・・



未完成のパーツが気にいっていると・・・どうしても、そのパーツを完成させたいという気持ちは・・・捨てきれないのだ・・。














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